アーティストは幸せになってはいけない?

ところで、前々回の記事に
「2か月ほど、なにも書けない時期が続きました。」と書きました。

その時期は、「その日暮らし」も定着してきて、いよいよ平和な毎日でした。でもいわゆる、以前は湯水のように湧いていた創作意欲がない。なくなった。私は、枯れてしまったのかもしれない。そう思いました。暗闇の中にいたような感じには、そういうものも含まれていたかと思います。

ミュージシャンや作家などのアーティストは幸せになってはならない、という説があります。彼らは満たされない心を創作で埋めているのだ、と。苦しみや葛藤、魂の叫びをもとに作品が生まれやすいので、平凡な幸せを手に入れてしまうとその叫びすら失われる、と。結果作品が生まれなくなってアーティスト生命がうんちゃら…と。
まあ、私がロックの聞きすぎなのかもしれません(笑)。若い時一時期ロックの批評記事にもハマってましたし。私自身の好きなアーティストも、家庭を持ってから徐々に歌詞のキレが失われたケースがあり、やっぱそういうことなの?平和ボケなの?と思ったことがあります。
もちろん、「そういう説もある」、程度のものなので真偽のほどは分かりません。むしろ、基本的な生活が保障されていた方がクリエイティビティが安定して育つという考え方もありますからね。

私はいうほどのアーティストではないので比べるのもアレですが。

やはりかつての私の創作意欲は、何かしら苦しみや悲しみから脱却したい、というモチベーションから生まれてきてました。確かにこれまで、主に容姿コンプレックスからの脱却やネクラでどこか悲壮感ただよう心をなんとかしたい、ってことについて書いてきた気がします。心にアザだらけだったので、ネタには事欠きませんでした。

ところが、やっていくうちにそのアザは解消されていき…以前そうだったことすら記憶が薄れるくらいになってきて。 悲痛な心の叫びが減りました。 「その日暮らし」ができる安心感が浸透していくと、 ネタがないんです。
たまにそういうものがおぉっと見つかると、久々の創作のネタだと飛びつくくらいになってました(笑)。でも、基本が平穏なのに、そういうのをわざわざ探したところで、ねえ。何やってんだ私。ってなりまして。飽きてしまい。
それからしばらく、「私の人生には何もない?」かのような心境に陥ってたわけです。その頃にはイヤな事件がほとんど起こらなくなり、暗いパターンはかなり脱却できてたわけです。

そこからぼちぼちと、カタチになってるかどうかも分からないまま気になってることに地味に取り組んできました。ほんとに、ぼちぼちと。

そうやっていくと、またそのうちコップの水はあふれ出すんですよね。
徐々に心のポジティブエネルギーの方が優勢になってきて、好奇心が湧いてきました。そして、入る情報の質が徐々に良くなってきます。
以前は悲痛な叫びをまき散らしていたので(笑)、すぐにでもこのアザをなくしたい、と手近な情報に飛びつくことの方が多かった。すべてがダメだと言わないまでも、玉石混交でした。宝石の顔をした露骨な石にもたくさん出逢いました。

でも、エネルギーが貯まってきていると、先を見通した情報の方が徐々に、増えてきたんです。今すぐに理解はできないし、ちょっと難しいけれども、きっと実践したあかつきには確かな知恵になるだろう、というような情報とか。ずっと求めていたものの答えに近いものだとか。もしくは、この瞬間ドッと大笑いできてそれで終わるような平和なものだとか。

それもある程度貯まると、ようやく、視界が晴れて自分の中に言葉が芽生えてきました。まさに今書いているこれがそれです(笑)。
創造力というものはおそらくアップダウンもあるだろうから、ここが着地点ってこともないのでしょう。今後どう続くかも分かりませんし。
それでも、悲痛な心の叫びだけが創作意欲じゃないってことは分かりました。「アーティストは幸せになってはいけない」みたいな思い込みはウソだったわけです。私にとっては。それどころか、好奇心にともなう葛藤とか、産みの苦しみなんて平和でも幸せでも、いくらでもありうるわけで。そこの地点から追究していくことはできるってことのようです。

ちなみに、【着地点】という言葉が出たからもういっこ思ったのですが、人生に着地点を探したがるケースって多いなと思ってまして。それについてまた後ほど書いてみたいと思います。

Photo by Antonio Francisco on Unsplash

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