目的に到達するときの心の状態とは。

私が目先のことに追われていたときは、なんらかの「着地点」がすべてだと思ってました。

たとえば、
・お金さえ稼げれば(分かりやすく月収100万円とか言うよねよく)
・天職さえ見つかれば(一生続けていけるようなね)
・いつでも本音が言えるくらいタフになれれば(いつでもかつでも、です)
・社交的で要領のいい性格にさえなれれば
 (性格変えたらずっとその状態がつづくという理想)
・相性のいいパートナーさえ見つかれば
 (結婚には悪印象を抱いてたんでw でも「結婚できれば」と同義ですね)

こういうのが私の思っていた着地点でした。「●●さえ」って限定的に言ってる割にはたくさんあるなおいw って思いますね。たぶん探せば他にもあります。で、自分の中では上に行くほど優先順位が高かったですが、まあそんなことはどうでもいい。

とにかく今が苦しくて、なんとかしたくて、その着地点にたどり着くためにムチャしちゃったり、なんにでもすがりつく。そういう時期がありました。

でも、この着地点は幻想だと気付いたんです。
正確には着地点らしきものがないわけじゃない。ここまで来たら、もう後戻りはしないだろうな、って地点は確かに、あるんですが、それって目に見えるカタチのようなものじゃないんですわ。

たとえばお金で言うと、月収がある地点を越えたら下がらないってことはないですよね。職を得ても失うかもしれないし、必要とされなくなるかもしれない。結婚しても離婚するかもしれない。性格やメンタルも明るいこともあれば暗くもなるし、強いときもあれば弱いときもある。

だから、目に見えるような「ある着地点」を目指すことって不毛だと思ったんですよね。たどり着くまでに必死であればあるほど、そこから外れたときのショックがデカくなるだけで。

じゃあ、「一度たどり着いたら元に戻らないもの」ってなんなんだろう。

今の段階では、それは【視点】だと思います。

いちど、引いて見ることができた【視点の俯瞰度合い】って、戻りません。というか、いつでも引いたり寄ったり自由自在にできるんです。
たとえば、「月収が100万円にさえなれば!」とだけ思っていた時と、「一度稼げた人でも上がったり落ちたりするんだ」とか、「たとえ稼げても残る利益が100万円とは限らないよね」と腑に落ちた後では、俯瞰できている度合いが違いますよね。
そして、一度俯瞰できたら、そのために何もかも投げ打つということはしなくなります。必要で適切な努力なり、投資をすることができるようになります。そうすると、結果的に、そこにたどり着くことができたり、欲しかった結果に別のルートでたどり着くことができるようになります。
もちろん、俯瞰できた後も、視点が寄った状態でがむしゃらに手に入れようとすることもできるんですが…。まあたいてい、結果が分かってるのですぐ飽きますよねw

だから、結論から言うと「これさえ手に入れれば…!」という着地点を目指しているうちは永遠にそれは手に入らないに近い。なぜなら、何もかも投げ打とうとしてしまい、結局命まで削ってしまって続かないからだ。っていうことだと、今は思っています。

今書いていて、思いました。よく「執着を手放せば手に入る」と言われますが、今思えばそれに近いのかな。この表現だとよく分りませんでした、私。手放し過ぎると、ただただ失うし、執着しても失うから。大切なのは、俯瞰のカメラを適度に引いたり寄ったり、調節しながら自分にとっていい感じの 【視点の俯瞰度合い】 をつかむことなんです。

手に入れたい状態に対して、自分が感情的であればあるほど、ただただ感情に振り回されてしまいます。振り回されてるだけで何もしてないやん、ってことになるんです。ただ、感情を押し殺して冷静なフリをしてもそれは違う。感情が暴走してしまうだけ。

だからね、着地点にしがみついてしまう感情を昇華していくことが大事だと思うんです。これについては、ある程度整理されたらまた書こうかなと思ってます。

Photo by Jukan Tateisi on Unsplash

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