好きに生きることにも、レイヤーがある。

好きなことをして生きる、そういう生き方にも何層もレイヤーがあることを知りました。

以前は、好きなことを始めさえすれば、理想の人生が始まると思ってました。ある種、それがゴールだとも思ってました。でもそれは、さらに理想の人生を描いていくためのとっかかりに過ぎなかったんです。

好きなことを始めた私は、好きなことを「好きなように」やる、という角度に着目しました。はじめの頃は好きなことをやる方法論を、「他人様が正しいと思うような(効率的な)ルートをたどって」やってました。その方が結果が出ると思ったからです。でもそもそも社会的にハイスペでもない私は、人の十倍やらないと結果が出ないことに気づきます。効率的でもなんでもないやん。

なので、そうではなく、その時々で自分がしっくりくる方法を重視する、ということにシフトしました。たとえ鈍くさい方法であっても、プロセスが充実していることに重きを置くこと。

たとえば結婚してからも、ひとつひとつの家事とかでも、なるべくヤル気が灯ったタイミングにやる。とか、夫婦どちらか、その作業に少しでも向いている方がやる、とか。作業をすることによる、気持ちの上下を繊細に見ていって、より心が削られない方法でやると、結果的に進みが早くなることに気づきました。
2人とも、社会人なりたてのときに心を病んだ経験があるので、燃え尽きるリスクは重々承知なのです。効率的にやる⇒燃え尽きる⇒休む=超絶非効率。なので、心を維持して、できればゴキゲンで、やり続けられる工夫を重視する。

そうやって、私たち夫婦は「好きなことを好きなように」、鈍くさく味わって生きてきました。それでいて、けっこう歯車がかみ合ってきました。でもおそらく、まだまだ細かく見ていくと人生、その先はあるようなのです。

私自身、人生の大半、好きな時間に起きて好きな過ごし方をして、好きな時間に寝ているので、まぁ良心の呵責とまでは言わないまでも、少しは「好きにしない」必要があるのではないか、と思い始めたことがありました。これが今思えば、「魔が差した」件とでも言いますか…。

実際、今年の初めには、短時間だしこれくらいはガマンすっか、みたいなちょっとした仕事も存在しました。ひとつひとつの作業は、ガマンというにはあまりにも些細なことで、目をつぶって飲み込めば別にどうということもない漢方薬みたいなもの、と捉えてたんですよね。ゴキゲンに過ごさせてもらっているから、むしろお互いに良かれと思ってやってきたことでした。

でも、これが思いのほか、今年初めにエネルギーバランスを崩す元となっていて。
夏には一時的とはいえ、2人とも体調崩して1~2週間はグダグダな時があったほど。おまけに猛暑の時期なのにエアコンも壊れて水漏れするし、ですべてが停滞してました。

そして生活全般、見直しを余儀なくされ…。
そこであらためて自分に必要だと思ったのが、前回記事で書いた

1:自分を愛する
2:自分を許す
3:自分が分かるまで語りあう

ということだったんですよね。

「好きなことをして生きる」のレイヤーは何層もあり、先に進めば進むほど、細かいところまで自分を生ききる、ということが要求されるような気がしています。

たとえば私ができていなかったことは、読みたいと思った本をもっと読むこと、とか。観たいと思った動画を観る、ということとか。
簡単にできる仕事だけど、結果に対してストレス比重が多いことはたとえ数十分のことでもやめること、とか。←この仕事なんかは、アタマで考えたら数十分で終わることを、何日もダラダラ引きずったあげく、やってないときまで脳内でエネルギーを消耗してヘロヘロ状態でした。なので話し合って、やり方を変えて、お互い変な負荷がかからないように組み合わせていったら…。なんとやりたいことやり切って、その上時間の余剰を感じられるようになりました。だから今、こんなブログ書いてます(笑)。

なんかどうしても、自分の願い事に上限を設けてしまうクセがあったように思います。コレが叶ったら十分で、これ以上はちょっと自分の器に合わないかな、とか?これ以上言ったら贅沢かな?とか。でも本来、願いってのは規模の上下だけじゃないんですよね。より繊細に気持ちを見つめて、細部の方向性を変えて満たしていくものでもある。
本当の気持ちに沿ってないから、エネルギー不足になって上限ができてしまうんだと思います。

私たち夫婦の場合も、よかれと思って譲ってきたことが、お互いの本質に沿ってないことに気づかない部分があった。それによってエネルギー不足になって、お互いの足を引っ張り始めた。つくづく、うまくいかない事象は、本心から無意識に気づかせてくれるサインだな、と。
薄々気づきかけてる…くらいだと無視してしまうので、「これはなんとかせねば…!」と危機感を感じるまでそのサインは大きくなっていく。戻れる時点で、なんとかこれに気づいて修正できたのは大きな収穫だと思っています。

この余剰時間と心を使って、来年に向けていろいろできそうで今から楽しみです。

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