“現実”世界と“空想”世界。密度の違いで次元ボケする人。

前回記事
⇒ “現実味”のないせかいの、言葉。
のように、自分の体験する世界を“現実”と“空想”に分けるとする(あくまで私の「仮」定義です)。この2つは、見た目では分からないが質がまったく違う。

 

“現実”とは、まったくの他人とも共有できる体験。コンビニに入って商品を買うとか、役所に行って手続きをする、電話でお店の予約をする、など。私にとってはセケン話も入るw

“空想”とは、自分個人が「こうなったらいいな」と思う世界の拡大系でことが進んでいく体験。この体験はいろんなケースがありすぎて、例を挙げられないんだけど…。最近の例でいうと、ドラクエの世界にどっぷり1か月くらいハマるとか、インド料理でスパイスと玉ねぎを一心に炒めている時間とか、手づくりチーズが固まるのを観察している時間とか、ダンスのレッスンをしていて自分の中から表現が出てきた瞬間とか、話題が盛り上がり過ぎてドカンドカンと笑えるとか、そういうのの積み重ねをいう。

空想世界は、人によってまったく違うし、気分によっても違うので、見た目では両者の違いが分からない。私にとって同じインド料理でも、作業的になるとそれは現実世界だ。

“現実”と“空想”の違いは、密度。そしてスピード感。

“現実”世界にいるときは、同じ体験もうす~くしか感じられないし、スピードもゆっくりしていてなかなか過ぎない。ときには、全速力で急いでいるのに電車に間に合わなかったりする。汗だくで作業しているのに仕事が終わらなかったりする。

“空想”世界にいるときは、ゆっくり自分のペースで歩いているのに、駅に数分早くついて、電車を待っていたりする。実際に時計で計っても、着くまでの時間が短縮されていた。同じ時間なのに、濃い体験ができ、いろんな感情や出来事が自分の身体の中を猛ダッシュで駆け抜けていく(しかもそこに不要な摩擦な少ないため、きもちいい)。仕事は、手についた瞬間に終わったかのようなあっけなさを感じたりもする。何事も、かろやかだ。その世界から出てきたときには、ジェットコースターから降りたかのような感覚がする。

 

“現実”世界では、後者のことを「ゾーンに入る」とか言うらしい。「ゾーン」なんていうわけわかめな言葉も、ビジネス書とドラクエのお陰で(?)セケン一般に広まるに至った気がするけど。
とにかく、“空想”世界の展開は何倍アップとかいう次元ではない。ただこれも、効率の観点から考えてしまうと意味がない。その展開には、“現実”世界では価値をもたないものも多分に含まれているからだ。

 

“空想”世界を乗りこなし、“空想”世界に少しでも長くとどまれたらいいな。
そういう風に思う人は多いんじゃないかしら。少なくとも私はそう。

ただ、“空想”世界に入るには、“現実”世界にいるときに持っていた「効率」「効果」「成果物」とかいう観点をいったん降ろさないといけない気がする。いったん、着の身着のまま飛び込んで、夢中で味わうことだけを目的とした世界線。“現実”世界にいる人からすると、たくさんの成果を持ち帰ったように見えるんだけど、それはその世界の副産物に過ぎないんじゃないかって。

 

この2つを急激に行き来する日常を過ごした期間が何度かあって。それはそれは乗り物酔いのような感覚でしたわよ。時差ボケならぬ次元ボケと言ってもいい。体感スピードが上がったり下がったりグワングワンと揺れるのだから。いずれの世界も大切だけど、自分はどちらをより重視して生きるのかは、やはり決める必要があるみたいだ。

 

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