ダサい自分が嫌いだけど、離れられない理由。

前回、【自分美学】と言うコトバを解説しました。いちおう検索しても出ないので、おそらく私の造語ということになります。

⇒ 周りがどんなに変化しても拠り所になるもの。それが【自分美学】

ただ、私自身はこれまでもずっとどこかで、「美」について語る資格はないと思ってきた人間です。

実際、今でも部屋の掃除や整理整頓は苦手だし、脱いだ服をきちんと畳まずに積み上げてることも多い。本も資料も山積みだったりします。

そんな私がなぜエラそうにこういうことを言おうと思ったのか。

それは、私に言う資格があろうがなかろうが、やっぱり美しいものが好きだな、と思った。そういうシンプルな理由からです。

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小学校~高校時代はダサく、暗い人間という自己イメージでした。

恐らくこれが、いちばん私の足を引っ張ってきたと思います。

ダサかった何よりの理由は、今思えば親に反抗できなかったことでしょう。イイ子でいたら怒られないから。失敗しなければ恥ずかしくないから。そうやってプライドのカタマリで、殻に閉じこもって過ごしてきました。

大学生でメイクと恋愛をおぼえ、いわゆる遅咲きの「デビュー」ってことになるのでしょうか。けっこう好き勝手に過ごすようになりました。でも、心の内では、どこか親の期待しそうな枠の中で過ごしていた(親的には期待に沿っているなどと思ってないでしょうけど)。

その「枠」を小脇に抱えながらも、出たい気持ちと葛藤。それが、どこかいびつなメイクや変わったファッションとして顕れていた気がします。

つまり、頑張ってオシャレをしようとしているダサい人。

ついでに、人目に見てかなり痛々しい感じのアトピーにもかかり、みじめさと、それを払拭しようとする努力とを同時に発動させてしんどい時期もありました。

これが私の20代の自己イメージ。やっぱりどこか、自分を受け入れておらず垢ぬけないんですよね。

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社会人になって就いた主な仕事は、アロマのエステティシャン、アパレル、美容部員。その後テレアポ、営業、事務職と転々としました。

その後副業として個人で始めたのはパーソナルカラーリストとファッションアドバイザー。

大半、美についての仕事をしながらも、ずっとずっと自分が「美」を語る資格がないとどこかで思っていました。何かしら美について発見したり楽しさを知ったときでも、どこかアウトローな位置に自分を置いて、安心しようとしていました。

でもね、心のどこかで分かっているんです。

私はダサいものが嫌いだし、ダサい自分も心から好きにはなれない。

人は、人生を通してずっとカッコイイことなんて稀で、つまづいたりぶつけたり、恥ずかしかったりすることの連続です。怠惰でもあります。

よほど生まれつき、容姿に恵まれでもしない限り。美には並々ならぬ努力がいる。ひとたび、美しいものを目指そうとしたら、壁しかないと言ってもいい。

でも、最近になって、ようやく思うことができるようになりました。

「たとえそんな自分でも、ダサいのを嫌って、美しいものを目指してもいいやん」て。

私にはいらんプライドの高いところがあって、完璧にできないのなら、初めから目指さない、と投げることが多かった。

掃除なんて最たるものです。どうせ必死で掃除機かけても、その瞬間から髪の毛落ちるんなら、しばらくほっといたっていいじゃん。そういう姿勢。それが積み重なってえらいことになる。

でも、人生って一事が万事でできているんですよね。ほんのちょっと目を逸らしたことで、自信を失う。自分は他のことも満足にできないんじゃないか、という気になる。

それじゃ、何にも楽しくない。本当は楽しみたい。

そう思っている自分に気づきました。

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完璧にできなくても、毎日満たせる基準が違っていても。目指し続けていいんです。というか、私にはそれしかできないということが分かってから、少しでもキレイを目指すことが楽しくなりました。

体型も、これまでで一番太ってしまったんですが、エクササイズを始めました。体重なんて一進一退で、果たして痩せているのかどうか分かりません。でも、充実しています。

「自分なんて」と思わず、毎日、一歩でも美を目指している自分をよしとして尊重する。

これが自分なりの美学だと思うようになりました。

他から見てどうかとか、比較して高い基準でなければ、と思う必要はありません。ただ、一つ問うておきたいのが

◆「私にとってそれは美しいのかどうか」

◆「私にとってそれは心地よいのかどうか」

ということ。

その基準に則って生きてさえいれば、きっと世の中に溢れる情報や比較に惑わされず、自分の世界を安心して楽しめるはずだと思うんです。

同じことについて、以前こちらの記事にも書きました。

⇒ 美意識の天井を越える。

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