ここんとこ、ツキイチのペースでRPGのゲームをクリアしている。
RPGってつまり、ドラクエみたいにストーリーに沿って冒険して、成長していくタイプのゲームだ。
今やっているゲームの1シーンで、印象的なものがあった。
主人公の少年は田舎出身。ようやく世界を見はじめたくらいのところから、ストーリーを追うにしたがって、じわじわと、世界を救うヒーローへと目覚め始める。王道なストーリーだ。
ところがそこで敵キャラに会い、彼は、敵も敵なりの「正義」のために戦っていることに気づき、「いったい正義とはなんなんだ…」って悩むにいたる。
若いね。と言うのはカンタンだが、おたがい真剣であればあるほど、正義と正義がぶつかり合うのは、オトナ社会でもよくあることだと思う。
自分の大義名分のために戦っている(もしくは戦わないまでも努力している)つもりが、他の人の意見やあり方を否定しているかもしれない…。と思い、迷い、パワーダウンしちゃう人っているだろう。
ここでまたゲームのシナリオに戻るが、そこでヒロインがこんな言葉を主人公に投げかける。“アナタいつから正義のために戦いだしたんだっけ?最初の目的はなんだった?”って。彼は、家族を幸せにしたい、仲間を幸せにしたい、という気持ち。コレが正義よりなによりもいちばん大切で、それなら迷いなく、ホンキで思えるのだ。ここで主人公は迷いを振り切って、自分の信念をもとに前に進むことを決意する。
これは別に家族や仲間を大事にしようぜ!という記事じゃない(笑)。
たまたまその主人公にとってはそれがホンネだったというだけ。その人が思うなら、自己成長のためでもいいし、世界を見たい、なんならモテたいという目的ですら、いい。ってこと。
つまりは、大義名分を、人が褒めそうな「それっぽいもの」にすり替えるなってことだ。自分の信念を「キレイな言葉」で裏切ってしまうと、じきにパワーが出なくなる。カベにぶちあたったときに、真っ先に逃げてしまう。
別に根性論はスキじゃないので、逃げちゃいけないとかじゃない。私も逃げたいときは真っ先に全力で逃げるw ただ、ここぞという大事なものが分かっていないと、思った人生を歩めなくて悲しい思いをするよってことだ。
ところで、私も活動初期、ある大義名分が「それっぽくていいかもな」と感じていたことがあるんだわ。それが、「みんなちがってみんないい」という言葉。
ちなみに私自身、いまでも個々人が個性や才能を活かせばいい、とはざっくりと思っている。だから一見、この言葉ってなんとなーくフィットしそうに見えるじゃない?
でも、シゴト以外のところでいろんな人に出逢うにしたがって、とてもじゃないけど「みんないい」はウソだな、と思うようになったんだ。あくまで、私自身が個人的な経験から、「思えるかというとウソだ」、ということだった。他の人にとって、とか真実はどうか、とかは知らん。
そしてあくまで私は、「自分が出会う可能性のある『特定の範囲の人』が、私がよさげだな、とイメージできる範囲の個性を活かせればいいな」と思っていただけだった。相手が「コレがオレの個性だ」と言えば、なんだっていいね!と思っているわけじゃない。それに、その人自身がその人自身で個性を認められるようにならなければ、意味がない。
だから、ざっくりと曖昧なキレイな言葉には注意しようってことだ。
ちなみに、先の「みんないい」という言葉を残した人は、どんな人生を歩み、どんな終わりを迎えたかご存知だろうか。恥ずかしながら私は知らなかったのだが、興味のある人はググってみてほしい。かなり興味深い事実が分かるだろう。
自分の思いは、今の自分と等身大であるに越したことはない。これは私の中で、前回記事『自分の中に住む中二にエサをやれ』とも矛盾しない。世界を救うゲームのヒーローですら、「家族が大事」からすべてが始まるんだから。中二病な理想も、まずは目指さないと始まらない。
けども、そのしょっぱなの動機は「自分がそれを好きだから」くらいの身近なことだ、と知っておけばいいということだ。
だからさいしょっから、大きなこと言わなくてもいい。「願わくば角度5度くらいなら、上を目指してもいっかな」とかで、じゅうぶんいいんじゃないかと思っている。