深く価値観を分かち合える人と出逢うには。

求められたときにだけ、必要とされる本心からの自己表現ができればいい。

 

前回の記事に、そのように書いた。
ただ、以前からそう思えてたわけじゃない。私はもともとは、自己表現下手であると同時に、人に自分を、もっと知ってほしかった。認めてほしかった。最近はやりの言葉?「承認欲求」というやつだ。

下手だから、最初はいわゆる「立て板に水のごとく」流ちょうに話せることを目指した。話題も豊富に持とうとした。

しかし、それは失敗だった。もうあえて「失敗」って言っちゃうわ。

だって、どんだけ流ちょうに話せていても、興味ない商品を売るセールスマンの話とか、一秒も聞きたくないっしょ。興味を「持たせる」話し方はできても、そもそも興味のないことに一瞬でも首を向けてもらうだけでも大変だ。もし話の上手さでそれをカバーできたとしても、翌日にはその熱は冷めているかもしれない。
どんだけ流ちょうに自分を伝えても、理解してもらえるとは限らない。むしろ全然だ。

自分を理解してもらうには、相手にだってそれなりの素地は必要だ。その素地とは、

◆自分の興味あることややりたいことに、その人自身も少なからず関心があること

「価値観が近い」、ともいうし、「優先順位の置き方に似た部分がある」、ともいう。
(ちなみに「価値観が同じ」という表現はなるべく避けるようにしている。またそのことについてはいずれ書くかも)

そういう、内面に近いものを持った人同士が出会って初めて、人は存分に自己表現ができる。そして、承認欲求も満たされる。自然とコトバが口をついて出てくるから、流ちょうに話そうという意識すらいらない。

 

逆に、価値観がかなりかけ離れている人とは、三日三晩話しても分からないことだらけだったりする。そういう人にたとえほめ言葉を言われても、なにかしっくりこないことってないだろうか。明らかに聞いてない人に空返事されるような、拍子抜けする感じがしないだろうか。

だから、承認欲求を満たす方法はひとつ。

◆かなり深い部分で価値観を共有できる人を、たった一人でいいので探す

ということだ。共有できるだけでいい。相手に同意までしてもらう必要はない。価値観に同じなどないから。別の人間だから当然だ。ただ、その価値観について存分に話し合える相手がいること、それ自体が大事だ。

そこが日ごろ、しっかりと満たされていくと、冒頭の

◆求められたときにだけ、必要とされる本心からの自己表現ができればいい。

という態度ができるようになる。ごくごく自然に。

その他大勢(というと失礼ですが)に無理に分かってもらわなくとも、私にはたった一人の分かち合える人がいる。そのことを柱にしていけばいい。そうすると、あの人に分かってもらえないとかあーだこーだという、不毛なコミュニケーションが激減する。結果、ゆっくりと自分の時間も過ごせる。

承認欲求というものは自分一人で満たすのが非常に難しい。だから大切なその一人を探そう。もちろん、満たしてもらうだけじゃなく、相手のことも満たせる相互関係であることが大事だ。

 

*****

 

問題は、その「たった一人の人」が、どこにいるかだ。

こればっかりは自分で探してください、という他ない(笑)。ただそれじゃあんまりなんで、ヒントを書いておこうと思う。

 

実は、その「価値観」とやらをいちばん知らないのは当の本人だ。つまり自分だ。自分で自分の価値観をよく把握もしていないのに、それを分かち合える人など見つかりはしない。

だから、いろんな人に当たっていって、探るしかない。

私もこれまで、「この人こそ一生の親友だ」という厨二病的な信じ込みをして、ほどなく別れた友人がたくさんいる。違う。相手をさぐるんじゃないんだわ。自分をさぐるの、自分を。

さすがに30歳なかばにもなって気づき始めた(笑)。なぜ別れることが多かったかというと、それまで私自身が、自分の価値観を荒っぽくしか把握していなかったからだ。ここはいいけど、あそこは満たしてもらえない。合う気がするけど、どこか疲れる。誰かに対してそう思ったのだったらチャンスだ。それこそが自分を把握するチャンスだ。

「それが違うと思うんだったら、どういうのがいいわけ?」

と。一度ならず、何度も何度も、問い直す。できうる限り、妥協はない方がいい。そして、「どういうのがいいか」に答えが出たら、そういう人がいそうなところに出かけてみる。出逢ってみる。⇒また違うと感じたら、また同じことを繰り返せばいい。

だんだんと、センサーが繊細になっていくはずだ。そうやって、たった一人の、存分に自己表現をできる誰かに出逢うまで磨いていけばいい。

だいじょうぶ。そこまでやれば、たとえたった一人に出逢わなかったとしても、人と出逢う環境自体はものすごく改善しているはずだ。そしてただ普通に会話しているだけで、承認欲求などと考えずともそれなりに満たされる関係性を築きやすくなっているはず。

そして、自己表現に飢えなくなったときに初めて、

◆求められたときにだけ、必要とされる本心からの自己表現ができればいい。

というスッキリした気分になれるんじゃないだろうか。

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