私ほんとうは何がしたかったんだろう、と思った時に自分に戻るヒント。

人はある一か所に集うと、バランスを取ろうとして同じになろうとする。まれに一定数、あえて違いを出そうとする人もいるけど(いわゆるへそ曲がりというやつ)、それすらも本人は気づいてなくても、集団としてバランスを取るための行動であることが多い。

で、いずれにしても、集団の中でバランスとってばかりいると、自分が見えなくなる気がして焦ることがある。あらためて振り返ると、私はほんとうは何がしたかったんだろう。このままでいいんだろうか。っていうのが浮かんできたときは、少し時間を取って考えるチャンスだ。別にどこか遠くの異国に旅にでる必要はない。少しだけ一人の時間を取ろう。

一人になる、とは言っても、実は自分を知るには、他人と接する必要がどうしてもある。
そしてそのとき、「その人との相違を見出す」ってことが必要になる。最初にも書いたように、ある場にいてバランスを取ろうとすると、他人と同じところを見つける習慣は無意識に身につくだろう。 その集団が気に入っていればなおさら。
そうでなくても、小さなことで面倒なことにならないように、同意点ばっかり目にしたくなると思う。 不満を抱いていると思われても変な空気になるし。 日本人ならとくにそういう傾向はあるんじゃないかな。

けど、一人の時間ならば、相違点を見つめても別に問題はない。
そしてできる限り、一つの人間関係だけじゃなく、複数のいろんな方向を考えてみるのがおススメ。職場、家族、昔からの友人、新しい友人、親戚、昔の職場、趣味の仲間、ネットつながり。彼らとはそれぞれに共通点もあるが、とうぜん、相違点もかなりあるだろう。

とくに、身近な関係と違う、ってことを認めるのは痛みをともなうこともある。その違いがもとで、ケンカになったこともあるかもしれない。
でも、その違いこそが、あなたの存在意義だ。その人が考えたり感じたりできなくて、あなたにはその発想があるわけだ。それが一般的に好まれるかどうかも関係なくて、あなたはただ、「そういう人間だ」ということ。ただ存在してその立ち位置を埋めるのが、あなたのシゴトだ。

実は、集団の中にいるときにも自分って見えなくなるけど、一人でいても見えなくなることがあるんだわ。

集団の中では集団の文化がすべてになりやすいから。
そして、一人のときは自分がすべてになりやすいから。

だから、人と交わりつつも、ときに距離をとって、同じところ違うところを冷静に見つめてみる。おなじでもちがっていても、本当はいいわるいはない。その場にとって都合がいい悪いがあるだけの、一時的なことだ。毎日に追われているとそういうことに気づきにくくなっていくが、ひとつひとつ、ちゃんと消化していこう。
そうするといずれ、別に人と自分が同じだろうが違うかろうが気にならなくなっていく。よく言われる「合う人と自然に出会い、合わない人と自然と縁が離れていく」ってタイミングは、もしかしたらこういう時なのかもしれない。

Photo by rawpixel on Unsplash

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