盛らずともキャラはにじみ出る。

かつてアパレルで働いてきたり、ファッションアドバイスなどをしてきて、思うところがある。
そういうときのお客さんには見た目に自信がなくて、なんとかしたいと気合を入れている人もけっこういる。ていうかスタッフ側にもいる。ていうか私もそうだった。
気合が入っているから、大きく変わりたいと思っていて、変化の落差が結果のような気がしてしまう。それを客観的に見たり、自分を観察してきて思ったこと。

それは、「個人のキャラクターは作り込み過ぎなくていい」ということだ。
※「個人の」って書いたのは、俳優やらダンサー・ミュージシャン等と区別するって意味合いね。

まれに、個人でもキャラクターが濃くて、目立ってしまう人がいる。ああ、目立つにはああすればいいのね、と思って、その人みたいに派手派手な衣装や変わったものを身につけたりする…と、たいていの人はただヤケドする。

キャラクターが濃い人は、普段からそういうものをどう身につけようか、常に考えてるんだ。別に苦行をしているわけじゃなく、それが好きで好きで仕方ないから。元がたとえ地味でも、そういう人はうまく合わせるすべとどこからともなく盗んできて、自分のものにしてしまう。そういう人になりたいなら、まずは好きで仕方ないものを見つける方が先かもしれない。

そういった外見上のキャラクターが薄い人は、薄いままでいい。無理をしなくていい。ただちょっと、自分に合わないデザインのものを合うものにシフトするだけでもよく見えるので、盛る必要はぜんぜんない。
そして、それでも見つけてくれる人は見つけてくれる。目立つ=見つかるは、いつの時代の発想だろう。

それと同じように、キャラを作り込み過ぎるのは、化けの皮が剥がれる原因をつくるだけなんじゃないかと。めっちゃ強気な発言をあえてしまくったり、暗いのに明るくふるまったり、ってこれはしんどいよー。私もかつては、身長148センチのところハイヒールで頑張って12センチ上げる日常送った時期あるけど、ホントはスニーカーでラクしたい人がやっても足つるから!!とか、声上ずってるくらいハイトーンでしゃべる練習したことあるけど、後が続かないから!!息切れたとき、もっと暗くなるから…!

もし、弱気や暗いのが、めちゃめちゃ社会的に影響するならば、その原因はまた別のところ(心や環境)にあるはず。人生を快適に生きられるように、見直すのが先かもしんない。

普段の自分でいればいいと、私は思う。そうすると、個性はにじみ出る。嫌でもにじみ出る。自分から見てハッキリしないだけで、周りから見たらそれなりの特徴や魅力があるんだわ。鏡を見てるときに見えない、ふとした表情だったりするからよけいに分からないだけ。
まあ、普段の自分とはいっても、パジャマからせめて部屋着もしくは外着に着替えてね、とかはTPOに合わせてメイクはしてね、くらいの修正はあるかもしれないけどw

まあいろいろ言ってみたけど、若いうちはいいわよ、ヤケドしても。いろいろ楽しみなさい。って…私もどっかのマダムみたいなこと言いたがる年齢になりつつあるのかねw

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Photo by Hsin Hsiung Chen on Unsplash

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