自分の中に住む中二にエサをやれ。

中二じゃなくても、五歳児でもいい。 誰しも、変身ベルトヒーローに憧れて変身ポーズをとったり、お姫様に憧れでフリフリスカートをつまんでうやうやしくお辞儀したり、したことあるだろう。なんにしろ、今思い返すと愛らしくも、イタい…

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盛らずともキャラはにじみ出る。

かつてアパレルで働いてきたり、ファッションアドバイスなどをしてきて、思うところがある。そういうときのお客さんには見た目に自信がなくて、なんとかしたいと気合を入れている人もけっこういる。ていうかスタッフ側にもいる。ていうか…

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たとえ話:クッキーをつくる人達。

仮に、この世界において人間の目的が、クッキーをつくることだとしよう。めちゃくちゃ粗いなおいw あくまでたとえ話だ。 人は最初、与えられたクッキー生地を、与えられたクッキー型を使って型抜きしていく。慣れるまでひとつひとつ、…

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「自由になりたい」という理想は、もういらないのかもしれない。

今日、ふと思った。 「自由になりたい」という言葉はもう違うな、ということ。 気がつけば、自分で望まずに何かを強いられていると思うことが、限りなくないに等しくなった。実際に多少の時間拘束なり、お付き合い的ななにかは、あるに…

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自分の砦を持つ。

あらたな場所を訪れるのは、たのしみである。と同時に、たとえ遊びでも、少しの不安がある。あたらしい地域、あたらしい職場、あたらしい趣味サークル、別の家庭など。 なぜ、楽しみであり、不安なんだろう。 それは、これまで出逢った…

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「普通」を磨きに磨いていくプロセス。

前回記事に、「他人の背中を追うことをやめた」って書いた。 ⇒ 自分のペースを取り戻して、シンプルになろう。 じゃあ辞めてどういう日々を過ごしているかっていうと…。 ◆自分にとって「普通」と思える毎日 を過ごしている。あく…

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“現実味”のないせかいの、言葉。

今月に入ってからの記事は、今までにも増して現実味がうすれてるんじゃないか。 と、自分では思っている。現実味ってなんだ、その、いわゆるセケンに通じるかどうか、とかそういうやつだ。 もうそういう話しかできない。そういう話にし…

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ヒエラルキーからの「自由」

私の人生のテーマに、確実にあるだろうなって思うのが、「ヒエラルキーからの自由」ってやつ。 人間生きていると、比べるなって言っても比べたくなる事項が山のようにある。 早く生まれたからエライ。にはじまって… 先にやりはじめた…

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【改訂】何を得るか、ではなく、何を失っても大丈夫なのか

(2016.9.3時点の記事です。末尾に追記アリ) このブログのコンセプト。 【何を得るか、ではなく、何を失っても大丈夫なのか】   このブログは、私自身が周りに振り回され、さんざん迷ったあげく、また自分らしさ…

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