つい、ヒマをつぶしてみるのを辞める。

昨日は、旦那くんの実家にお邪魔した。
おかげさまで、いつもとてもゆるりと過ごさせていただいてる。いつも、「郷に入っては郷に従え」的な感覚でお家に行くのだ(もしその感じで合わないと感じてたら行かなくなってるかもと思う)。

いつもの流儀(?)はこんな感じだ。
行ってすぐにたんまりとオヤツがでてきて、お腹いっぱい食べる(めちゃくそ勧められる)。食べたら、お夕食までの間は旦那くんの部屋でひたすらのんびり過ごさせてもらう。ご家族の皆さんもこの時間はそれぞれのお部屋でのんびりされている。オヤツはモリモリ食べるもの、ということと、オヤツの後の休憩があるってことを、ここのお家に来て初めて知ったw
時間が来たらお食事である。これまたモリモリと勧められる。少々おしゃべりやお片付けの手伝いをさせてもらって、また食後の休憩だ。フルーツをいただくこともある。ほくほくとした状態で帰宅する。なんだこの嫁w 大丈夫かw

まあそんな感じで、おかげさまでとてつもなくのんびりとした空気を味わっている。これもなじむまでは、不思議だったんだけどね。

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いくらでものんびりしていいとなると、人はとたんにヒマつぶしのための何かを探す気がするよね。なんでだろう。

忙しいときは、時間さえできたらのんびりしたい…!と思ってた気がするんだけど、いざ時間ができると、予定を入れたがるような気がする。これまで走ってきていたのをスローダウンしたり、止めるのはなんだかいけないことのような気がする。って人…いない?

私も、かの「オヤツの後の休憩タイム」には、DSとか本読むとか、何かしらのやることを持っていったりしていたし。空いた時間は何かしら「有意義に」なるようにと無意識のうちに思ってるのかもしれない。

ここ数年ほどで、のんびりしたいときは「ひたすら、ただのんびりする」ということを覚え始めた。寝てもいい。でも寝るという目的すら、別にいらない。ただ時を過ごす。ただ過ぎていく状態を味わう。ただ味わってる自分を味わう。

先日、そうしてると、自分に合った呼吸が分かってきた。

というか、呼吸がちょっと急いていたことに気づいた。私は社会に出てすぐ過呼吸になった経験があるので、もともと吸いすぎたりする傾向はあった。最近はひどくなることはないけど、まだそのクセが残っていることに気づききれてなかったみたいだ。それに気づいたのは、ただひたすらのんびり過ごしてみたからだ。その時間は、一見すると無になっているようだけど、思いのほかいろいろな発見があるものだ。なにより、自分と一体化できてほんとの意味でチャージできる。ただ、タイクツという苦痛から逃れてしまいがちなんだけどね。

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ヒマになったら、何かしら外の忙しい事項に注意を向けちゃう=自分に注意を向けているようで、向けてない。ってことなんだな。
まるで自分には価値も興味もないかのように。そういうつもりはなくても、自分に注意を向けるより、外の何かのようないいような気がしているから、「ここ」にいつづけることが苦痛に感じるんじゃないだろうか。

生まれてこのかた、自分はずっとここにい続けてきた。そして、死ぬまでずっと一緒だろう。これが分かっている気がするから、あえて注意を向けないんだろう。でも注意を向けない限り、自分を見つけることはできない。私は、この世を離れるまであと何回、そのことを思い出すことができるだろうか。

Photo by Ömürden Cengiz on Unsplash

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