才能ってそもそもなんだろう。

1か月ちょっと前に、こういう記事を書いた。
 ⇒ まずは自分を満たす。その先にあるミッション。

この記事で、自分を含め、人間の才能を開拓していくことに初期から興味があった、ということを書いていた。でも、才能ってそもそもなんだろう。人から褒められること?人より何かができること?人のお役に立てると実感できること?

たしかにそれもあると思う。一般的に才能とは、開花してから人に認識されるものなので、そう見えても当然だ。
でも、それだけだと、何かしっくりこないものがあった。現に、これまでも同じ次元で悩んで、彷徨っていたときは、かならずこのように考えていた。
「 私が人から褒められることって何?人より何かができることって何?人のお役に立てると実感できることって何?」で、他人軸に陥って分からなくなっていたんだ。そりゃあ当然だ。自分に対して他人の感じていることなんて 、一生客観的に分かることなどないんだ。

じゃあなんなんだ。

で、これまでのことを思い出したときに、才能についてひとつの結論が出た。それは、「掛け値なく無我夢中になれる対象を持っていること」だ。対象というけれど、それは自分自身でもいい。誰か他人のことでもいい。事象でもいいし、モノでもいい。何かそのことについてホットな”LOVE”を感じることができるものがあるならば。

そしてもうひとつ加えるならば、
それは1つでなくてもいい。
均等でなくてもいい。
ずっと同じものでなくても移り変わってもいい。
ただ、今このときに”LOVE”を感じることができているかどうかがすべてだ。

そして、掛け値なく、ということもとても大事だ。
理想論に聞こえるかもしれないけど、「これだけやったのだからこれだけの報酬が」…という皮算用の方が脳内を占めていたら、じきにつらくなるだろう。皮算用があってはいけないわけじゃない。ただ、かぎりなくゼロに近づいていって、
“LOVE”が多くを占めていく方が、どれだけ自分がハッピーでいつづけられるだろう。
ちなみにこれはもちろん、”LOVE”で報酬を得てはいけないということではない。むしろ、得られるものなんじゃないかと思っている。それほどの”LOVE”に巡り合えたあなたという存在に、投げ銭でもしたくなるような心の震える在り方だろう。ここに、「こうすればこれが得られる」という公式が通用しないだけだ(この公式のことを皮算用と、ここでは呼んでいる)。

報酬があってもなくても、それをやるだけで報酬が得られるような気持ちでいられるもの。心が本質的に求める興味・好奇心・探究心を満たそうとする行動。それが才能だと思う。 興味・好奇心・探究心 以外にももしかしたら当てはまるものがあるかもしれない。
そして、先ほどの一般的に言われているような才能、「人から褒められること・人より能力的にできること・人のお役に立てること」などは、それだけでは”LOVE”が強い人のエネルギーにはとうてい、かなわないだろうなと思う。その中に”LOVE”の要素を見いだせたら別だ。それに、ほんとうに”LOVE”の対象を見つけたら、きっと人の才能を抜くなんてことはそれほど興味がなくなってしまうかもしれないよね…。

Photo by Aaron Burden on Unsplash

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