ブログ再開して書いているうちに、いろいろ思い出してきたことがある。
基本的にこのブログは、目に見えない世界を知ることで、開けてきた視界から見えるものを書いている。
ここでいう目に見えない世界とは、アートや音楽、心理的な世界、そして魂と呼ばれる世界。アートや音楽には、目には見えない人を勇気づけたし刺激するチカラ、エネルギーがある。そして、手ではつかめなくても、人には心や魂というものがある、と、生きていたらなんとなく誰しもが感じる。
そして、なんとなくそーゆーのがあるなぁ、だけじゃなく、それを知って活かしてよりよい人生を送るにはどうすればいいか。そういうことをずっと考えてきた。うっすらとであるが、おそらく子どもの頃から考えていたことは覚えている。
そして、視界はある程度、晴れてきた。見た目の生活ぶりはかつてと同じでも、視界が晴れるといかに多幸感にみたされるのか、も分かった。ここで私の人生の第一幕が終わる音がした。気のせいやろ?って? ええそうですとも。なんせ見えない世界だから。でも一段落して、気持ちが踊り場にいたのはたしか。いっときは、平和で、しずかで、なにも起こらないくらいの感じだった。
でもね、人生第二幕は、そこからも続く。
それまで不足感から動いていた私は、いっときはしたいことがなくなっていたし、なにをしていいか分からなかった。
で、充電も完了したいま、ようやく思い出した。
私が初めてとったブログのアカウントは、achieveyourgift 。こういう英語表現があるのか、正しいのかは分からないが、「あなたの才能を獲得せよ」という意味合いでつけた。個人で活動をはじじめたてのときにつくったアカウントだ。 私の活動の初期衝動であり、理想だ。
今の時代、社会は、不足感をあおって経済を回している。生活の必要性からあおられてあおられて、自信のある人なんてほぼいない。自信に見えても、条件づけのもと植え付けた自信だったりする。ない人がある人の足を引っ張ったりするのは日常のことだ。
そんな中、個々人がそれぞれの天才性とその意味に目覚めたらどうだろう。それぞれを認め合える世界ができるかもしんない。たとえその世界は一部でも、小さくても。「そういうのがある」というだけできっと希望になるだろう。たとえ理想論でもいい。描かないと始まらない。そう思っていた。そして私は、やっていくうちにそのことを忘れていたんだ。それがエネルギーが枯渇した原因かもしれなかった。
「目に見えない世界」を知って、活用して、着地する先は個々人のちょっとした幸せ。欲望満たし。そこまでしかたどり着けてないものもあれば、欲望が暴れてるだけの集まりも、よく見る。
それはそれでアリなのかなぁ…うーん、でもなあ。私もやっとそこまでたどり着いた程度だし…。ささやかな幸せって悪くないよ…とくに使命感とかないし…うん…。と思ってそのぬるま湯につかっていた。でも、どっか腑に落ちず手足はふやけるばかり。
いやいや、初期衝動、忘れてただけだったわ。あっぶねー。
実をいうとやっぱり社会って殺伐としていると感じるし、ネットを見ても言い争いは絶えないし。自分の周辺だけでも、多少なりとも理想の毎日を送れていそうな人なんてまだわずかだし。理想に近づいているかといえばギモンだ。目に見えない世界も、日が当たったかと思えばよろしくないところにフォーカスがいったりと、相変わらずアングラだ。誰より私自身、もうちょっとなにかやれるんじゃないかと思って、もんやりとしていた。
【人にはミッション(使命)がないと本質的には動けない】
そう、20代の頃に聞いたことがある。自分の欲望では限りがあると。誰かのために、何かのために。はじめは思い込みでもいい、と。
当時は「自分のことで精一杯なんで、他人のためなんてキレイごと…」と思っていた。そしてずっと意固地にそこにいた。けれども。もしかすると、生涯子どもと思っていた私にも、なんかしら次の段階があったのかもしれない。
まずは、ミッションに行く前に自分が満たされていない人は多い。だからきっと、自然に動けるようになるまで、満たす必要があるんだと思う。ひたひたに、ね。
そして視界が晴れたその先には、じぶんの天才性みたいなものを自覚して、それを使っていく。人にこき使われるというネガティブなものじゃなく、じぶんを開拓していくような面白さとむずかしさと充実感とともに、それはあると思っている。なにそれ面白そう。
あーようやくここに来れたんだなって、あくまで自称だけどなww どう使っていくかは、これから書いていくことにします。
メルマガとか、なにかやろうかな。web会議みたいなんも面白いかもしれない。また決まり次第こちらで伝えますね。