ないことは、あることと表裏一体だった。

「私はここにいるよ」「私を見て」
そう、うまく言えなかった。つっかえては、黙った。
だから、伝える方法を求めた。

「私はここにいるよ」「私を見て」
でも振り返ってもらえない気がした。地味で、目立たなかった。
だから、装う方法を求めた。

「私はここにいるよ」「でも私にかまわないで」
それがうまく伝わらなかった。つっけんどんにしてみた。
そしてますます、熱中するものを求めた。

ないことは、あることと表裏一体だった。
ないことで苦しんだから、あることを求めることがむしろ自然だった。
エネルギーなどおのずと湧いてきた。死にそうになっても関係なかった。

ないことは、あることと表裏一体だった。
気づいたら、あまたあるにも関わらず、さらにさらに、手からこぼれるほどに持つようになった。

そうやって両手に有り余るほどの「ある」を持って振り返ると…。
実はその頃から「ある」は、そこにあったことが見えてきた。

私を見てくれている人は、いた。
ここにいることが、伝わりすぎるくらいに伝わってもいた。
振り返ってくれている人がいた。
むしろ注目すら、してくれていた。
熱中しているときは、ほっといてくれた。
終わったらまた、そばにいてくれた。

求めていた場所じゃなかっただけだった。

そのときに気づけばよかった?
でも気づけなかったからこそ、手に入れたものがたくさんある。

悟らないってのも、案外いいもんだ。
もう、あの頃には戻りたくないけど。

Photo by Caroline Hernandez on Unsplash

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