失敗しようとしてるかもしれない、自分に気づけ。

人間、ときに「失敗したい」と思いながら物事に取り組む、ややこしい一面がある。

「この世に失敗したい人なんていない」、ってみんな意識では思っている。たしかに、致命的になるほどなら、誰も失敗したくはないだろう。
でも、心をよく観察すると、自分では分かる。ホントのホントは、失敗したいケースもあることに。

たとえば、ダルい仕事とか回ってきたときは、誰でも1回や2回はあるんじゃないかな。そういうときなら、内心「この仕事ダル!」って思ってるからやる気ないことに気づく。

でも、本当はうまくいってほしいのに、心の底では失敗を望んでいるとしたら…?自分では気づけないし、とりあえず必死なのに空回りするのでめちゃ苦しい。

じゃあどういう時に失敗したいのか?それを知ってれば気づいて防げるんじゃないか。

今思い浮かぶだけで2つある。

1:失敗という経験をしたい。失敗しても大丈夫なのか伺いたい。
2:本当に行きたい方向と違う、と内心思っているので、うまくいかないようにチカラを抑える。

1:失敗という経験をしたい。失敗しても大丈夫なのか伺いたい。
は、親の顔色をうかがう子どものような心境だ。
「この人は窮地に陥ったときに助けてくれるのか」伺いたい、みたいな。まさに子どもの行動だけど、大人になっても、普通にある。信頼できると思っている人が、ホントのホントにほんとうかどうかテストしたいときによく行われる。これは意識でやってたら、ほんとにテストで済むからまだマシ。 ホントは安心したいだけだと、気づきさえすればいい。

失敗をいちど経験したら、目が覚めてスッキリすることもある。失敗という経験自体をすることで身体にたしかなものが湧いてきて、満足できる。
ただ、無意識で気づかぬうちに人を親代わりに見てテストしてたりすると、ちょっとヤバイので気をつけた方がいい(ここではこのテーマについては掘らないけど)。

2 :本当は行きたい方向と違う、と内心思っているので、うまくいかないようにチカラを抑える。
これは、自分の行き先を間違えてないか発見するチャンスだ。

いまの自分が本当に全力を出し切っているかは、冷静に振り返れば分かるはずだ。締め切り間近とか、本気の叱責を受けたときとか、自分に子どもができたときとか、眠っていたチカラが湧いてくる、と人はいう。それに比べたら何パーセントくらいかは、自分的になんとなくわかるだろう。

ただ、毎日をそんな危機迫る勢いで生きてたらもたないよねw 私もムリ。
でも、そういう危機迫る時以外にホンキが出ない、ということを果たしてこの後何年も続けるのか…?と思うとぞっとしたことはないだろうか。
ホンキって、真剣にのめり込み、惚れ込むからこそ出てくるチカラでもあるはずだ。そっちの側面はどこいったよって。

普段から小さいことが「まぁ…どっちゃでもええか」と思うことに慣れてたり、「今回もうまくいきませんでした…」という報告に慣れているようなら、どちらかというと「失敗を望んでやっている」という可能性を疑った方がいい。
特に、本当はイヤなことを長年、自分にムチ打ってやってきた真面目な人は気をつけた方がいい。その姿勢が沁みついてるだけかもしれないからだ。私も心当たりある。失敗したってどーだっていいから、そこそこでチカラを止める。クセなんだ。そしてそれはコトバにも表れる。伝わるわけない。そういう人生、悲しいじゃん。

失敗してもどうでもいいこと。
それが、今やっている方向性全体のこともある。
はたまた方向性はあっているけど、細部のやり方だけ気に入らねえってこともある。
方向性も細部もあってるけど、いきなり目標が高すぎるだけってこともある。

なんにせよ、失敗しようとしてやっていることはうまくいくはずがない。めちゃめちゃ当たり前のことだ。気づきさえすればいい。「あ、私ホンキじゃないなー」「自分の足わざと引っ張ってんなー」って。おそらく、どっか気に入らないんだろう。そこをまずは探そう。

その後どうするのも自由。
だけど、残りの人生、そういうことになんとなーく使っちゃってていいのか?
って問えば、おのずとエンジンのかかり方は変わるだろうね。

◆続き。
 ⇒ 「成功」するためのプロセスは、実は誰でも知ってることなんじゃないかと。

Photo by rawpixel on Unsplash



			

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