個人的な「エモい」を伝えると面白くなる。

誰しも、ごく個人的に心を動かされることがあるだろう。フェチってやつ。この食器のここの細工がハアハァとか、このお洋服のこの曲線がうひょーーいとか、コーヒー豆を挽くときの音がもう……いう、ハタから見たらワケ分からんくらいのやつだ。
以前書いた記事もそれに近い。 ⇒感性にときめき、共振する魔法。

それをもっともっと表に出していくと、おもしろくなっていくのになぁと、これまたハタから見て思うんだ。私もそうなりがちだが、個人的な発言のときはめちゃときめいてハァハァしてるのに、いざ仕事となると一気に固くなる。つい先ほどもそれで、1記事をゴミ箱行きにしたくらいだw 仕事にパーソナルな感情を出してはいけない、という無意識の感じが思いのほか刷り込まれているなぁ。

でも、どんなに公的な仕事であっても、パーソナルな感情をちゃんと理解して感じることができていないと、実はつとまらない。と思っている。なぜなら、どんな相手も「あくまで、いち個人」だからだ。いくら忙しい日々とはいえ、本当の本当は、その他大勢のひとりとして扱ってほしい人なんていない。
でも、ひとりひとりを感情を持った人間として接しようと思ったら、接する側がひとりの人間である必要があるんだわ。こちら側がココロを壊していては、永遠にいいシゴトなどムリってもんだ。

かつて10年もガチガチのマニュアルロボット星人として仕事をし(誰も望んではいないのに)、身体と心を壊した私は「個人を消してもなんの意味もないな」と身にしみた。でも、ひとたび提供側となると、失敗がこわくて固まってしまうのだ。気持ちはわかる。

で、なんの話だ。そうそう。
個人的な「エモい」を伝えると面白くなる。
ということだ。

あくまで「個人的」。だから、見向きもしない人も一時的には増えるかもしんない。でも、個人的をきわめていく。そういうことは、様々な事情からかつては一部の天才しかできなかったように思う。でも、伝える場所が今はある。どんどん伝えよう。

ちなみに、英語で「感謝する」という単語のひとつに「appreciate」というものがある。他の意味を知って、この単語が好きになった。それは、

よさがわかる、真価を認める、(…を)高く評価する

Weblio 辞書

真価を認め、高く評価できるものって、その存在自体に感謝できるんだ。
※「感謝」ってコトバを何にでも言いだすと、ときどきなんのことだか分からなくなる。でも、「高く評価してる」ことってなると、分かりやすくない?あくまで評価するのは個人的な気持ちなんだよね。

そういうものを、日常生活でたくさん見つけようってこと。そうすると、発する言葉はどんどんと湧いてくる。どこまでもエモくなれる。なんだか面白そうな空気が漂ってくる。いくら個人的なフェチであったとしても、なんだか面白そうな空気はいつかかならず、首を突っ込みたくなる人が出てくる。
あくまで理想だけど、そんな感じだ。

もともと陽キャの人は、ほっといても表情と声からエモさがダダ漏れであろう。ただ私のように内向的なタイプは、むちゃくちゃエモくても表情が1ミリしか変わらないこともあるため、気づいてもらえないことも多い。そこを言葉で補うのだw

Photo by Raul Cacho Oses on Unsplash



	

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