今月のアタマ頃気づいたお話。
よく、飛行機の離陸を人生にたとえる話ありますよね。
何か新しいことを始めようとして、周りに反対されている人に対するメッセージだったかと。飛行機の離陸を、人生で何かをスタートするときになぞらえる。周囲の反対や揚げ足取りはありがたいものだよ。そのエネルギーを利用したらいいじゃない。飛行機だって、最初に向かい風があるから、そのチカラを利用して飛べるんだ。
…そういう論調だった気がします。
その話を何度も聴いたつもりじゃないんだけど、こういうたとえ話ってイメージとともに刷り込まれるのでしょうか。気づいたら、そのイメージが定着…どころかエスカレートして、「高く飛ぼうと思ったら向かい風を呼ばなきゃいけない」くらいに思っていた気がします(笑)。で、これから飛ぼうというときに、あえて向かい風を呼ぼうとしてた自分に気づいたんです。あれ、向かい風来ないな?って。
これまでにもう何度も再スタートや変化を起こしてきてるんで、そういう私にはもうそのイベントは起こらないんですよ。そういうのに慣れっこというか当たり前の人しか周りにはいませんしね。
でも、そのストーリーをなぞらうように、逆境になればなるほど盛り上がる自分てやつがどこかにいたんですわ(逆をいうとそれないと燃えないみたいな)。それ、いらん物語よな。いらん努力(?)よな、ってあらためて気づいて笑いましたわ。
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ええ、勝手にイメージをふくらませていったのは自分です。
でもこういうイメージって、よくよく意識してないとスルっと無意識に入りこんでしまっている。とくに、おとぎ話とか、そうですよね。冬にキリギリスは飢えたけど、アリは夏の間に頑張ったから大丈夫、だから私も冬のために頑張ろう、とか。アリ的存在になれば大丈夫とか。同じ物語でも、人によっては違う結論を知ってるかもしれませんが…。結論の良しあしはどっちでもよくてね。
つまり、ある段階では有難がって聴かれるお話でも、自分の段階がそこと違ってるなら、取り入れちゃいけない場合があるってことです。
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もし不必要に人生を大変に感じているのなら…。そういうストーリーづけに自分の人生をなぞらえて、「こういう事件があるってことはきっとこうなるから」と信じて疑わない状態になってることもあるかもしれません。「その物語、どこから引用した?もしかして他の選択肢、フツーにあるよね?」と自問自答して、チェックしてみる必要はあるかもしれません。
私も先日、そういうのをいまだ持ってることに気づいて笑いました。離陸したかったら、普通に飛べばいい。別に人の人生が飛行機やアリと似てる必要はなにもないもんね、ってことです。