感情の壁

悲しい時、ただ悲しいままでいさせてくれる場はほんとうに少ない。

だから、悲しいときはただ悲しくいる。いや、悲しくある。そういう場を自分につくってあげる必要があると思うんです。

前回の話のように、私が「人生のとある着地点」に到達したくて、しがみついていたとき。おそらく私は、「ただ悲しくある」ことも、「ただ切なくある」ことも、「ただガッカリすること」も、自分自身に許していなかったのだと思います。

「ただ悲しくある」 ってここではどういうことか。必ずしも、うおおぉぉぉおぉぉおぉん…!と泣くことではないんですわ。涙が出る出ないに関係ないんです。
私も昔、なんだか分からないけど、とめどなく涙が流れることは、時折ありました。悲しくないつもりでも、泣きたさが暴発することも。でも、「泣く」ということにはいろんな意味が含まれます。他者へのアピールだったり、瞬間的な発散であったり。必ずしも、泣くことで、泣いた要因となった心のありかそのものに向き合っているとは限りません。

その心のありかそのものにたどり着いて、そこにある感覚と同期することを 「ただ悲しくある」 ってここでは言うことにします。感情的な時って、その感情に巻き込まれて嵐のように震えたり荒れたり、なぎ倒されたりします。でもね。その中核にい続けるのです。最初は嵐のど真ん中で大泣きすることしかできません。が、そういう自分にいちどどこまでも付き合ってみるのです。
そうすると、ある時エアポケットのようなところがあることに気づくのです。「あれ、私泣いてるわ」みたいな。まるで今さっきまで大泣きしていた自分の感情が自分とは切り離されたなにか別人格かのような部分に見え、見てる自分はちょっと別のところにいる。まるで幽体離脱かなにかのように。
そして、その状態をしばらく自覚していると、なんかほんとに切り離されていきまう。しまいには、

「うっわ。あれ私?wwwwなんか泣いとるわwてか、なにそれ泣いてるフリ?wwwwwなんかめっちゃ悲しかったのにw悲しくなくねwwwナニコレwwwww」

って。で、笑いがこらえきれなくなることもあります(笑)。ああ、まあこれは私の実体験なんで、みなそうなるとは限らないのですが…。

つまりどういうことか、っていうと。
悲しいときに 「ただ悲しくある」 というところに居続けると、その「悲しいちゃん」は別人格であることが分かり、ちゃんと役目を終えて、手を離れていくんです。そうなると、いつの間にかその感情をつなぎとめていた「執着」ってものも薄らいでくるんですね。

こういうと一発で「執着」という何かが立ち消えるかのようですが、そうとも限りません。手を変え品を変えあらわれて、時間や年月がかかる場合も多いです。それでも、特定の、扱いづらい執着めいた感情は、ほぼ消えるような時がいつかは来ます。それは悲しさだけじゃなく、寂しさだったり、むなしさだったり、怒り、恐怖、モヤモヤや不快感などもそうです。

私の中では、こういうたとえになります。
「執着」が足に巻かれた鎖のようなもの。反対側には杭が打ってあって、鎖の届く一定範囲しか動けなくなっている。
そして、「感情」は壁みたいなもの。たとえば、悲しいのにそれを無視してなにもなかったかのように動いていると、その無視しているものがじょじょに壁になる。どんどん高くなる。
気づけば、壁の内側でグルグルグルグル同じところを動いている。その壁は越えちゃいけないような、どうにも越えられなくて視界がさえぎられているような、そういう感覚になるのです。

で、もしその鎖を断ち切り、壁を破壊することができたならどうなるでしょう。そう、視界が晴れて、その先に行けますよね。もちろん行かなくてもいい。
つまり、行っても行かなくてもいい自由が手に入るのです。

最初に戻ります。

悲しい時、ただ悲しいままでいさせてくれる場はほんとうに少ない。

だから、悲しいときはただ悲しくいる。いや、悲しくある。そういう場を自分につくってあげる必要があると思うんです。
その場をつくらないでいると、どんなに走っても動きまわっても、その壁の中を鎖につながれたまま動いているのと同じことだから。

アタマで考えたら分かるでしょう。想像つくでしょ。知識を得て動けばいい。
私はそう思ってました。アタマは大事です。客観的な視点が持てます。でも、アタマだけじゃあ体感的な理解に落ちてこないことがあるのです。

それは【自分のこと】

自分のことが分からないうちは、前回話したような、かりそめの目的に踊らされます。行っても行ってもたどり着いたような気がしないのは、自分の目的ではないから。他人はフツウ、悲しい時、ただ悲しいままではいさせてくれ ません。「どうしたの?」って心配したり、「元気出して」って言われたり、「今はそんな場合じゃない」って誘導されたり、しますよね大抵。でもそのままじゃずっと自分のことが分からないままなので、時間をつくる必要があるのです。
今回は概念的な話になりましたが、少しでも何か伝わるでしょうか?

次は、世界と自分との関係性について話せればと思います。

Photo by Giulia Bertelli on Unsplash

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