先日、旦那と話していてほんっとーーにミジンコのような小さな小さな、行き違いを見つけました。
ほんっっと、人間ってお互いに親しいからといって、話をしたからといって、行き違いが分かるもんじゃないな、って心から思ったエピソード。
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予備知識としてお話しておくと、彼は心理セラピーの仕事をしております。私自身も、色彩心理セラピーやカウンセリングについて10年ほど前から学んで実践してきました。
出逢いも、それがキッカケのひとつ。
そんな2人なので、ケンカになるよりも早くセラピーモードに移行します(笑)。お互いの怒りのツボをヒットしてしまったり、認識の行き違いから気に入らないことが起こると、その大元の原因を解消したくなるのです(笑)。しないとまた同じことが起こるのでね。
ちなみに、セラピーモードってどんなんかというと…。
今イヤなこと言われてどんな感情になったのかを聞き出したり、脳が過去のイヤな記憶に結びつけてないかを探ったり。そういうことを話してもらえるよう、会話を運んでいくんですよね。
(ただ、この間も決して空気はいいわけではなく、モヤっとしながらも、慎重に間を挟んだり、言葉を選んで話すんですよ。ケンカの当事者同士ですからデリケートです(笑))
話すだけでスッキリして、ホントに問題がなくなることも少なくありません。事実、私の料理ギライの克服はこの会話がキッカケ。
私たちは結婚前にこのプロセスを何度となく積み重ねてきているので、同じ認識の違いを繰り返すことはほとんどありません。
ですが、こないだ久々に、新たなイライラの種を旦那に見つけたんですよね。
それは、旦那と一緒に洗濯ものを干しているとき。(キホン、家事は全部半分こしてます)
「なーんか、濡れたものを触るのが全般的に嫌なんだよねー」とこぼしていました。どういうケースかは自覚ないけど、時には濡れたものにイラッときたり、全身で拒否反応がくるんだと。
とはいえ、食器洗いは気分転換になって好きと言ってたしな。
ここで、私にもじわじわと不安が湧いてきました。異常にイヤだったら、水回りのこと、頼みにくいじゃない。って。かといって、私も洗濯もの干しが特段好きなわけじゃないし。
洗濯ものだけじゃない。お風呂とか台所の排水溝とかトイレ掃除とか。いろんな濡れたところの処理もそうなのかな。彼にどんだけ拒否反応が隠れてんだろ。
自分も嫌だけど仕方なしでやってる仕事に、拒否反応があると言われたようでほんのり寂しくなったりしてました。
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で、先日どんな会話がキッカケだったか、その「濡れたものが嫌」の心理的な掘り下げがスタート。彼いわく、特に顔周りが濡れるのが嫌なんだそう。
歯医者ギライが原因かな?⇒でも克服したしなあ。
プール、キライ?⇒いや、普通に泳げるよ。
銭湯とかの濡れた床は大丈夫?⇒別になんとも。(てかこれは私の方がキライ)
家族に、何かを濡らして怒られたとかある?⇒うーん、心あたりなし。
トイレ掃除は?⇒コンビニバイト時代に割と率先してやってたw
…ってラチのあかない会話が続き。うーんってなったところに。
あ、もしかして母親かも!というヒラメキが彼に起こった様子。
なんでも、お母さんは怒ること自体がほとんどないので、「イラッとする」エピソードには関係ないと思いこんでいたようです。
ですが…
1つお母さんには生理的に無理なことが。それは何かというと…。
テレビとかで芸人がヨダレや鼻水を垂らしてウギャーとかやってるシーンなんだそう。それを観たら、露骨に顔をしかめるらしいです。それが旦那にとっては怒っているくらいに見えたそう。普段怒らないお母さんが怒るなんて、よほどのことじゃないかと。
…つまり、ざっくりと「濡れたものがイヤ」ってのはこういう部分のみ。
×体液=だらしない、きたない、生理的に嫌がられるものだと思い込んだ
×ヨダレを母親がいやがってた記憶=自分の顔周りが濡れるのがイヤ!に結びついていた
ってことだったのだそうな。
はあーーーー?なにそれ。ウケる!!!洗濯カンケーないし!!
そういえば、付き合い始めたころは、私が顔を近づけるだけでササッとのけぞられたので、なんやねん、彼女やろw と思ったことが多々あったw オモロイので、顔に向かって「ペッ」ってするフリをしたら、フリと知ってても(><)←こんな顔して避ける、避ける。
この原因には、彼自身も想定していなかったらしく、2人して「なんだそれーーー」ってなりました。自分自身が嫌がってたわけじゃなかったんです。お母さんの影響。
それに気づいた瞬間、顔「ペッ」と吐くフリをしても、別になーーーんともなくなった様子。
そこからさらに話すと、私が心配していた排水溝掃除などは、むしろ気持ち悪いとか全然思わないそう。てか、私の方が苦手だったみたい。カビとか見たらオエーと思うし(汗)。
で、さっそく掃除してくれました。水回りの掃除は頼めないのかも…と思ってた心配は、丸ごと不要だったのでした。
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で、さんざん話して何が言いたいか?ですよ。こんだけエピソード長く話して。
それは、こんだけお互い、心理状態のズレを伝え続けていても、行き違いのホントーの理由は掘り下げないと分からない、こと。本人すら、分かってないのだから。
で、この「本人すら分かってない」ことが原因で、お互いに思い込みができて、長年モメているってことは珍しくない。
まして、こういうネット上の媒体ではなおさら、なんですよね。
あるテーマについて数記事書いた、コメントもらった、その数行の言葉のやり取りには、途方もない思い込みと行き違いが潜んでいるんですよね。
自分の思っている意図が、正確に伝わる方が奇跡なのかもしれない。ほとんどが憶測で解釈して、「こういうことを言ってるに違いない」って思った上でリアクションしている。それを丁寧に確認しながら進まないと、解釈はどんどん離れていく。
私はイメージ的には、1回の言葉で100分の1伝わればいいもんだと思っています。だからといって、諦めようという話でもなく、むしろ逆なんですよね。
たとえば伝えたいメッセージがあるなら、何度も伝えること。角度を変えて、別のたとえ話を挟んで。手を変え品を変え、繰り返し伝えてみて、繰り返し聞いてみて、認識の違いを埋めていくことが必要だな、と感じています。
もちろんすべての会話でやってたら身がもたないので、まずは自分から発信をするときにのみ心がけてみてはどうでしょう。
同じことばっかしつこいと思われるかもしんないけど、自分にとって本当に大事なことや、大事な相手だと思うならば、やった方がいいです。表現の角度を少し変えるだけで、今回みたいに、思ってもみないすれ違いの原因を突き止めたりもするからです。
伝わらずに自分を責めたり、相手を責めたりしていた件が、「ホントのホントに、誰も悪くなかったんだ」って気づいたときの爽快感はすごいのです。