分からないなりに進んでも、なにかは残る。

自分のFacebook投稿から転載。

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おそらく、今月のはじめくらいに思い切り読書しよってあらためて思って、記録始めたんだっけ。で、今ようやく5冊。けっこう衰えてる(汗)。でも嬉々として読んでる。
うち1冊は、20代から何度かトライしていつも途中で辞めたか読了したか覚えてなかった本でした。なんだけど、今回は確実に読み終えた。しかもそんなに詰まらずに。それは、その前後辺りからやり方を変えてみたから。

30代くらいのある時点で、体験が深まったのか、一定ラインの本が身体に浸透するように読めたのが嬉しくて。それからはけっこう精読するようにした。
1冊の本を何度も繰り返し味わったり、ちゃんと調べて理解を深めたり、おなじところを行き来したり。
そのやり方も楽しかったけど、一方で読める本が限られてくることにも気づいたのね。理解したい→理解しないと先に進めない→詰む(積む)。で、けっきょく読む世界が拡がんない。
そこで理解したこと。

今回、ようやく読了できた本があったように、時がくればわかることもある。逆にいうと、時がこないとわかんないものは、いくら文字面を眺めてても叩いてもわかるようにはならない。だから、頑張って分かるようにするでも、読まないでもなくて、いったんすべて目に通して寝かせておけばいいんだな、と分かった。「寝かせとく」って考え方もかつて何度も聞いたことあった気がするが、なんせセッカチなんでやらなかったというかできなかったなw 41にしてようやくちょっと理解できたかね…(笑)。

そんなわけで、分からないものも分からないなりに、いちおう「取り入れた」ことにしとく。割り切る。そうすると、サクサク進むようになった(それでも遅いけどw)。で、それでもまったく理解できなくなるわけでもなく、残るところは引っかかってくれるようになった。細部にこだわり過ぎてたんだな。

そういえば、10年前読んだ本でも、心に残るものがある本って、いつまでも覚えてる。自分、いろいろ知ったつもりになってたけど、そん時分かることしか分かってなかったし、それでいいんだな。
ってあらためて思えた話。

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Photo by Tra Nguyen on Unsplash

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