自分のFacebook投稿から転載。
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長らく、本を読んだり知識を得ることを少なめにしていた。目先の情報に踊らされず、自分の感じていることに集中したり、シンプルに感じたままに行動したりしたかったから。
とはいえ、それなりにスマホ見てたけどw まとまった知識を得ることはひかえて、どんな情報も瞬間瞬間、流し見するようにしてきた。
そうするとね、少しだけ「あのときあの人はなぜこう言ったのだろう」ってギモンに自分なりの答えが見えてきた。こんだけSNSが普及しても、個人の意見を言っている人は少ないんじゃないかなぁと感じている。気づかずに、なんらかの集団や思想の代弁をしていることも多い。それで、本人自身も自分の意見と思い込んでるから乖離に苦しんでいたりする。
私も、代弁してないつもり、自分の意見のつもり、で誰かの言ってほしい意見を言ってるだけのことあったからねー。それがメリットだからやってるということに仮に気づいてたとしても。長年かけて自分のアイデンティティをむしばんできたことには気づけずにいた。
そうやって一定期間、過ごしてみて気づいた。
知識や情報を得るのは、何かに同意したり身につけたり、従ったり反発したりするためだけじゃない。偏らないで広く見るトレーニングをするためだ(偏らないってったって、いち個人だから偏るのは仕方ないとして)。少なくとも自分の中心から見て遠くにあるもの、遠くに偏ったものを信望していると、しんどい。
いろんな情報をさら~っと眺められるといいのは、「いろんなものがあって、今自分はこの辺の位置づけだな」ってのを体感できて、心がおだやかでいられるからだ。
だから、子どもの頃から好きだった読書をまた再開してみた。分厚い本を相棒のように持ち歩くのが好きだった。そんな愛おしい時間をまた持とうって思えた。
いや、好きだからちょこちょこ読んではいたけど、どーしても読みたいと思ったものに偏ってたし、たまーにだった。それを、ジャンルこだわらず、役に立つかどうか気にせず、まとまった時間をかけてじっくり読むようにした。
ほんと、心がホクっと栄養分を得ていますごく元気。自分の声を聴くという体感を経てから読むから、血流に乗ってすごく入ってくる。中年の皆さま、今こそ、今からだよ!と誰にともなく声かけたくなるなw
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Photo by Alfons Morales on Unsplash