唯一無二の自分

私がここ数年、取り組んできたことにあえて名前をつけるとすれば、おそらく「唯一無二の自分発見プロジェクト」とかになるだろうな。

と、思った。
なんなら名前は今日の昼考えついたくらいで、まだカタチにもなっていないとも言える。でも、たしかにそういうことを子供の時から考えていたような気がする。その中で、今ほどこの「唯一無二」という言葉がしっくりきたことはない。

私は社会に溶け込むタイプではなく、はじっこでヒッソリ生きてきたタイプだ。溶け込もうとしたけど、急になにもかも馴染めてないことに気づいて、焼き栗がはじけるごとく外に出て行ってしまったことも一度や二度じゃない。

そういう、一般的な価値基準のモノサシを持たぬ私。外れた私。
そういう私ですら、やっぱりこれまで【社会】というものは、「誰かより良くなること」「誰かより得をすること」「誰かに似ていること」のいずれかのルートをたどってこそ生きれるもんだと、心のどこかで思っていた。
なんなら、この今名付けた「唯一無二の自分発見プロジェクト」 をやっていても、心のどっかで「美人が勝つ」「有能なヤツが勝つ」「そういう長いヤツに巻かれたもん勝ち」みたいな不文律の上でじたばたやってたという実感があった(そしておそらく、そういう社会自体は今後もなくならない気がする。それはそれでひとつのモノサシだから)。

でもね、なんか今年に入って感覚が変わった。
社会のはじっこの人間がいう「感覚」ってヤツほどアテにならんもんはないw ので聞き流してもらっていいのだけど、もう有能だろうが無能だろうが、誰しもが「唯一無二」の何かを見つける以外に生きるすべはないという、感覚。とはいえ、価値基準っていきなりは変わらない。おそらく、目に見えない水面下でプレートが動くようにじわじわゴゴゴと、いつの日もほんの少しだけは、動いているんだろう。でもそれが地震となって表れた日にはもう、何もかもがひっくり返っていたみたいな、そういう感覚。

小中学生のお子さんをもつ方に聞いても、学校そのものが違う。
そもそも今までは、「普通」という目に見えない路線があって、 半分寝ててもそいつが救ってくれて生き残れた 。「普通」という言葉が何よりキライな、社会のはじっこにいある私も、かろうじてその路線に乗れんことはなかった。それくらい、鷹揚な感じのした「普通」路線。
この道自体が、どんどんかすんで見えなくなっていってるらしい。別に何人もに聞いたわけじゃないのだけど、少なくとも分かりやすい1本の道じゃなく、いくつもの不確定な道があらゆる地平線に向かって消えていってる感じなんじゃないかなと。

どんなに平凡な日々を望んでいても、未来という時代は「唯一無二」の何かを求めていってる、そんな感じがした。アテにならない直観だけど、私にとっては、何かに根を下ろしたような、確かな感覚だった。

この「唯一無二」はあくまで「唯一無二」なので、人より優れているとか持っているとか、そもそもそういう基準ですらない。「優れている」時点ですでに、何かと同じレールの上だからだ。これ、伝わるかな。モノサシ自体が外側に、ないんだ。
もしそういうものがあるとしたら、「唯一無二」の、何かしら存在なり価値基準が、自分を高めていくときの指標みたいなもんだ。その追究には終わりも始まりもない。というか、高めないのがその「唯一無二」の存在意義ならば、別に高めなくたっていい。単純に、ものごとは生々流転だから、よくも悪くも昨日と違い続けるだけの話だ。

そう、それでついでに言うと。「唯一無二」というものは、時間軸においても「唯一無二」なんじゃないかと思う。ずっと同じものじゃなない。その瞬間に存在したものは、その次の瞬間に存在するものとは違っている。そういう意味での「唯一無二」。同じ自分でも、今ある「唯一無二」は来年の「唯一無二」の性質と違っているかもしれない。

で、この流れる中にある本質的な「唯一無二」の感覚を自分の中に見つけることができたなら。そしたら、おそらくずっとこの世に2人といない自分そのものとして生きていけるのだと思う。

…と長々語ってみたが、そもそもの話、「唯一無二」じゃない人間なんていない。当たり前すぎて忘れているだけなんだけど。
誰しもが、ほんの少し誰かと違っている。そのほんの少しをかき集めたら、結局だいぶ違っている。性別も年齢も名前も生まれた土地も育った学校も就いた職業も…全部同じ人っていないように。たったこれだけの要素でもだいぶ「唯一無二」って自覚が生まれるように。

これまでの時代が、そうじゃない方向に無理やり向かっていただけなんじゃないか。「唯一無二」性を消そう、消そうとし。同じレールに乗ろう、乗ろうとし。乗ったら乗ったで皆がみんな上に行こう行こうとし。同じようなことを趣味にしようとし。その結果「自分の価値が分からない」とか言い出すし。

そういう意味では、ずっと昔にぶん投げて棄ててしまったものを思い出しにいくような、そういう時代なんじゃないかと思う。それはもう、顔を見たことのないほど昔のご先祖様かもしれない。自分のルーツに、奇跡的に「唯一無二」であり続けた人もいたかもしれない。

どちらにしろ、過去の時代にすでに発掘されている価値など「唯一無二」の前では無価値だ。たぶん、言葉にすらされていない、眠っていて、誰の目にも見えていない「唯一無二」が、これからたくさん芽を出すだろう。私や、周りの人や、これを読むあなたがその芽を出す可能性の方が高いような、気がしているよ。

Photo by Karim MANJRA on Unsplash

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