自分の砦を持つ。

あらたな場所を訪れるのは、たのしみである。と同時に、たとえ遊びでも、少しの不安がある。あたらしい地域、あたらしい職場、あたらしい趣味サークル、別の家庭など。

なぜ、楽しみであり、不安なんだろう。
それは、これまで出逢った人と違う人がそこにはいて、自分の世界とまじわったときにどういう反応が起こるか分からないからだ。

特に日本人なら、トラブルは少なく、穏便にまじわれたら、と思う人が多いのではないだろうか。いくら、思いもよらないタイプ相手だったとしても。最初からケンカや気まずい思いってしたくない。しかも、ホントは仲良くしたいし、そのつもりがないのにトラブルってのがいちばん悲しいから。

だから、いくばくか人には複数の顔があって普通だと思う。「私、多重人格なんです~」とか、20代くらいの頃は冗談めかして言ってたけど、むしろ、多少は多重人格の方がいろいろな場面にうまく対応できるし、人間関係の幅も広がるかもしれない。わるいことじゃない。

自分の仲良しの集まりだって、複数の集まりとなれば毛色が違う。自分がたくさんの違う顔を持っていたとしても、それぞれの顔がそれぞれの集まりで発揮される。だから人は生きてけるなあって思う。リスク分散みたいな。たとえば恋人だけや、たとえば家族や親友だけに、自分のすべてを分かってもらおうなんてありえないから(あったらそれはそれで嬉しいけどね)。

でも、そんなに自分を使い分けていたら疲れそう。と、思っていた。実際に疲れるほど自分が違っていたこともある。

 

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だから、自分の「砦」をつくった。それがブログだったりSNSだったりするのかもしれない。「砦」といっても、外敵とたたかうためのものじゃない。あくまで、自分が外の世界とほんの少し触れあえて、でもあまり外の世界に寄せていない、素に近い自分が生きてられる場所として。
おかげで、違っていたそれぞれの顔が、一つの顔に集約できる「おうち」みたいな場所になった。

おうちに帰ると、落ち着いた自分に戻って、ほんとうはどうありたかったのかが分かる。たとえば誰かとケンカしたとしても、ほんとうは仲良くしたかったのに…。と落ち着いて思い返すことができる。その逆で、つい波風立てたくなくて誰かに合わせたとしても、おうちに帰ると「それは合わせ過ぎたんじゃないか」ということが思い直せる。

この、自分の砦がいいのが、ほんのちょっとだけ自分のおうちを人に公開できるところだ。普段は部屋着なんて見せないけど、見たい人にはここまでオッケーよ、みたいなのができる。それがいいかも、楽しいかも、って思えた人とは、会う前から少しだけお近づきになれる。

だから、砦にいるときはできる限り自然体に近づけるのがポイントだ。
自分がリラックスできていることが何より。呼吸も深く、ペースも自分がラクでいられるペース。間違っても、砦にいるときに誰かに媚び売ろうとか人の価値観にめいっぱい寄せて好かれようとか、なんたらコミュニティと同じ意見をアピールしようとするのはおススメしない。自分の砦なのだから。そんなの一旦忘れて、好きな飾りつけをして気持ちがよくなる壁の色を塗って、と楽しくやればいい。

自分がリラックスしているときに作ったもの。これが響く人とは、かぎりなくおだやかにお付き合いできる可能性がある。場合によっては、自分の考えや価値観が大きく変化しても、ずっと見守ってくれる人も出てくる。自然体を表しているとそれだけ、実際の世界が安心感につつまれていく。

状況が変わっても変わらないなにかを見つけると、人生はじわじわと安心の場所になっていく。さいごには、砦と世界の境界線が少し薄らぐくらいがいい感じなのかもしれない。

 

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Photo by Alex Vasey on Unsplash

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