「普通」を磨きに磨いていくプロセス。

前回記事に、「他人の背中を追うことをやめた」って書いた。
⇒ 自分のペースを取り戻して、シンプルになろう。

じゃあ辞めてどういう日々を過ごしているかっていうと…。

◆自分にとって「普通」と思える毎日

を過ごしている。あくまで自分にとって、「普通」。そもそもやってることがすごくもないし憧れもしないし変わっても個性的でもないと感じられる、で、ごく自然に惹かれるようなことの集合体。具体的に言うならば

・このブログみたいに面倒なことを深く考えている
・インドに惹かれている。動画や写真を観たりする
・毎晩寝る前にヨガをやっている
・RPGゲームに没頭する
・家で気が向いたら変な踊りを踊っている
・カレーや煮込み料理を作って常備している
・やたらと分厚い本や長いブログを一気に読みとおす
・目立つ色柄やアクセサリーを集めている。たまに着る
・目立つ色柄やアクセサリーを身に着けた美女の写真などを眺める

こういうのが、私にとっての「普通」。
そういえば、子供のころから「普通」。
そしてこの空気を同じテンションで共有できる人間関係があったなら、それは「普通」。

それが人にとってはスペシャルに見えたり、ひどく偏った見え方をするかもしれない。その状態がおもしろいじゃん、と思える人がタイミングよくいれば、どんどんと私は「普通」でいられるようになっていく。心が削られることはなく、ふんわりとふくらんでいく。エネルギーが溜まっていく。

そして、エネルギーチャージされたときに、ちょっとだけ理想の世界にリーチする。
たとえば、家で変な踊りを踊っているのが⇒今通っているカルベリアダンスのレッスンになると、ちょっとした背伸びの世界だ。カレー的な煮込み料理を粛々と作っているだけなのが⇒ふと誰かにおすそ分けしようかな、と思ったら、それもちょっとした背伸びの世界だ。
こういうことを繰り返していって、「普通」が増えていく。「普通」が気づいたら、1年前より豊かになっている。これをやってきて実感しているので、来年もやっていこうかと(サプリメントか)。

そうやってちょぴっとだけ豊かになっていっても、やっぱりベースを支えるのは、これまでもあった「普通」の世界だ。外に引っ張られて忙しくなってきたからといって、RPGゲームを辞めてしまったり、ヨガをサボったり、時折分厚い本に熱中する時間を削ったりしたならば、それは「普通」じゃない。ちょっと欠けた、いびつな私。他の代替えできるなにかをやれていればいいんだろうけどね。欠けたままほおっておいたら、穴が徐々に大きくなってしまうのは体感済み。

「普通」だから、続いていける。人にとって努力に見えるものすら、呼吸のようであれる。これは以前書いた、人生黒字化計画にも通じるものがあるかな。

※サムネ画像は、RPGゲームと目立つ色柄アクセサリーと美女を同時に味わえる至福の名シーン。

 

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