たとえ話:クッキーをつくる人達。

仮に、この世界において人間の目的が、クッキーをつくることだとしよう。めちゃくちゃ粗いなおいw あくまでたとえ話だ。

人は最初、与えられたクッキー生地を、与えられたクッキー型を使って型抜きしていく。慣れるまでひとつひとつ、ただ淡々と。

そのうち、だんだんと型抜きができるようになっていく。そこから効率や効果を求めだす。もっとたくさんの型を手に入れて、同時にたくさんのクッキーを作る。いろんな種類の型を手に入れる。ブランドもののデザインの型を手に入れる。純金の型を手に入れたり、地球にやさしい素材の型を手に入れたりもする。世の中に、どんどんクッキーの数とバラエティは増えていく。流行っては廃れていく。
いっぽう、作る人にも飽きはくる。毎回同じことの繰り返しだから。そんなこんなで、ある人は新しい型に次々と変えて、なんとかやってく。ある人は人を集めて、人に指導させて、なんとかやらせる。

そんな中、新しいクッキー型を買えない人がいたとする。
その人は、仕方なくクッキーのカタチを手でつくることにした。型じゃないので、毎回カタチが違う。時間もかかるし、たくさん作れない。調子の悪いときの見ばえはひどい状態だ。
ただ、ある時気がついた。どうせ毎回違うってことは、他人がやっているような型にこだわらず、その時々で好きな形にすればいい、と。どうせ型使っている人だって同じ型ばっかりだと飽きちゃうんだから。幸い、手でクッキーをカタチづくっていると、いくらでも無限にデザインを変えることができる。時間はかかるし見た目は悪いけど、嬉しいことに、その人がクッキーづくりに飽きることはなかった。クッキーをつくっていないときも、目に映るすべてのものが、クッキーづくりのヒントになった。

そして長い年月をかけて、だんだんとその人のつくるクッキーは美しくなっていった。その人にしかつくれないクッキーだった。教えてほしいという人も出てきたし、教えてあげることもできたが、やっぱりその人のクッキーは唯一無二であった。似せてつくることもできるが、その技術をマスターするには、型を買うよりもよっぽど長い時間を労力を要したため、またいつもの型抜きに戻っていく人も多くいた。いろんな人に聞かれた。「どうやってその偉業を成し遂げたのですか?」

手でクッキーをつくってきた人は思った。
「偉業もなにも。だって僕には型が買えず、それしかできなかったんだもの」

もしこの世界に生まれたなら、すぐれた型で、多くのクッキーをつくりたいだろうか。それとも、手でひとつひとつ、長い時間かけてクッキーをつくるのを選ぶだろうか。
あくまでタイプだから、優劣はない。ただ、今の私は後者の人のような気がするな。後者は、世間の求める舗装された道をはずれて、自問自答しながら、自分だけの道を模索していく、孤独で非効率でゴールの見えない作業になる。こうやって書くとただツラいだけだなw でもそこに来てはじめて、自分を真正面から見ることができる。自分がもつ魅力もダサさも、得意不得意も。そして、ある到達点にきたときに、どんなに多くの人に褒められるよりもさらに、深い歓びが湧いてくるものだと私は感じている。

実際の世界はもちろん、クッキー以前にやることがいっぱいありすぎてもっと複雑だよ。だから、そんなに単純にわりきれるものではない。けど、どちらに惹かれるかで、進む道が大きく違ってくると思って。

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Photo by Cayla1 on Unsplash

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