ここちいい波長を、空間からつかまえる。

ヨガを毎日やっていると、身体がカチカチに固くってポーズがつらい時がある。そういう時は、ポーズの完成度を高めるのをいったん、あきらめる。
そして、ポーズを取る前の前のもっと手前に戻って、そこをゆっくりとやり始めるようにする。たとえば、立ったポーズなら、立つときの両足の幅から。足先の向きから。膝を曲げる角度から。前屈みたいなポーズだったら、座り方や足の揃え方、身体の向きから。身体が曲がるということは期待せず、ポーズの手前くらいで静止して、そこをゆっくりと味わうように呼吸する。そうやって、じわじわじわじわと周りからせめていると、いつの間にか身体が、いつもの柔軟性を取り戻してきたりする。ああ、なんだ。身体がやる気についてってなかっだけなんだな。って思えるくらい、スムーズにいくときもある。

家事でも仕事でもそう。やる気がのらないときとか、身体が調子悪くてうまくやれそうもないとき。そういうときは、いつもの10分の1のスピードで、最低限のことだけやるつもりで始める。10分の1って実際にやると大道芸みたいでおかしい感じになると思うけどw それくらいのイメージで、せいいっぱいサボってやるぞみたいな気持ちで、やり始める。
そうすると、ある時きゅうにスイッチが入って、いつものように動きだす時がある。カゼひいてたりすると、長続きはしないかもしんない。でもその瞬間、ちょっと調子よくなったりすることすら、ある。

文章が書けないときは、使いさしのノートにクソみたいな落書きをすることから始めてみる。思いつきを次々に吐き捨てる。どうでもいいことばっかり書く。めちゃゆっくり書いてみたり、めちゃ汚い字で殴り書きしてみたり、そこもお気に召すまま。そうすると、ある時なんだかよさげな思いつきが出てくる。忘れていたちょっとした用事を思い出し、ちゃんとクリアにしようという気になったりする。

つまり、自分にカチっとハマる目に見えないリズムや呼吸みたいなものが、空間には漂ってるんじゃないか、って思っていて。それがよく言う『周波数』みたいなのかもしれない。チューニングが合った瞬間、いろんな滞りがスキっと流れ出すのはいつも不思議に思っていた。
そして、辛い場所や仕事や人間関係ってのは、自分に合わないリズムや呼吸を強いられている感じがするのかもしれない。身体も固まるし、言葉も湧いてこないし、応対もたどたどしくて。自分にあったリズムや呼吸が用意されている場所だと、急にイキイキできたり、いつもより積極的になれたりするのも、そういうことかもしれない。

そのちょうしいいときのリズムや呼吸を、自分で設計して、整えられて、モバイルできたらいいんじゃないかって思う。ホイポイカプセルみたいに。
ここんところの記事は、そういうことを書いてみたつもり。
自分の砦を持つ。
集団ルールからマイルールへ。

普段から自分のリズムや呼吸を設計したり、整えたりすることを意識して過ごしていると、環境がそれに合わせて、合うように整えられていくってことだと思う。ちょっとチューニングが狂ったなって思ったら、進むのをやめて前の工程に戻ったり、超絶ゆっくりなスピードで動いてみて、ピタッとくるところを探す。そうすると、多少乱れた空間にいたとしても、自分の波長を取り戻すことができる。
たぶん、ちょっと先を急いだりしているときって、どっか途中のタイミングで違うものが混在して、それとダンスすることに必死になっているんだろう。そういうときは、ホームポジションに戻ってみて、自分から自然に出てくるものを待てばいい。それは自分から生まれたものだし、当然自分に合ったものだから。
「違うものが混在」の中には、時に教わったものや正しいとされるものも含まれるかもしれない。それを一旦おいて、何もなかったころのホームポジションに戻ってみよう。本当に身についたものだったら、戻ってもそこから湧いて出てくるに違いない。

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Photo by Green Chameleon on Unsplash

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