集団ルールからマイルールへ。

人生のはじめのころは、とにかく集団や集団行動が苦手だった。みんながつながっている「暗黙の了解」、いまでいう「空気」みたいなもんが分からなくて動けなかったり。同調圧力に自分がつぶされているような気がして息苦しかったりした。

そういう集団ルールがよく分かんないのは今も同じ。あぁ、少なくとも「なぜこうしてほしいのか」くらいは憶測できるようになったけど。それでも理解というか共感ができないのは昔と同じ。
ただ、そういう自分であっても、以前とは違ってラクになってきた。自分に合ったカタチで、それなりにそこに存在できるようになった。同調圧力につぶされそうという感覚も、かなり薄らいでいるし、まず圧力をあまり感じていないww

それは、おそらくマイルールを心の中に持てるようになったからだ。マイルールを持っているということは、集団にいても誰にも気づかれないんだけど。マイルールをそれなりに持って行動し続けていると、周りが「そういう人」として認識してくれるようになり、どんどんと過ごしやすく、心地よくなっていくことが多い。別に声高になにかを要望したわけでもないのに。もちろん、そのときのマイルールは自己中なだけじゃダメで、ある程度トライアンドエラーで場に合わせて作っていく必要があるんだけど。それでも、その軸を作れるスキルがあるだけで、相当に生きやすくなっていく。

集団には、明文化されたルールもあるよね。けど、どこにも書かれていないし、誰も決めていない、謎の暗黙ルールというのも自然にできてくる。かつてそれを踏み越えたら(その集団にとって)ヤバイことが起きたから、とかいう理由でいつの間にか共有されだす。新しくそこに入っていく人は知らなかったりするルール。
明文化されてたり、ハッキリ共有されてたらそら、守った方がいい。集団がスムーズに運営できなくなるからね。でも、謎の暗黙ルールってのは何とも言えないものが多い。思いやりででき上がっているものならいいけど、たとえば「古株の人を持ち上げなかったら激怒してメンドウ」とかが理由なら、ねえ。それでストレスを抱える方がアホらしい。もちろん、人に尊敬や感謝を向けることは気持ちいいことが多いんだけど、度を超えてそれでギスギスしてたら本末転倒でしょっていう。守らなきゃいけないなら、言葉にする必要がある。

まあ、そういうふうに暗黙ルールというのはいいものも悪いものもごっちゃになっている。つまり、個人でどのルールを採用するか、ほんとうは決めていいということだ。そこで暗黙ルールにぶらされずに、しっかりとマイルールを決めて行動していけると、ほんとうは集団にとってもスムーズに動けていいはずだ、と思うんだわ。

ちなみに、ここでいうマイルールの中身は、本当になんでもいい。けど、なんでもいいわけじゃない。
というとワケがわからんと思うので、実体験から感じていることを話してみると…。

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私たち夫婦は、結婚したてのとき、いちからルールを疑ってみてた。たとえば、なんで12時に寝た方がいいの?ゲームに熱中して朝になったらなんでアカンの?とか。
そして実際にやってみたw 熱中したときに、その熱を止めずにやり続けるのはたしかに面白かったし、翌日予定がなければ朝10時までやって、そのあと何時まで寝ててもよかった。あとで疲れも取れるし、別に人に迷惑かけてないじゃん。まる。ここまでは「ルールなんてなんでもいい」の領域。

でも、やっぱり、続けるとちいさいながらも、身体に不調が出てくる。ちょっとヨガが気分よくできない、とかもそのひとつ。お腹の消化がちょっと悪い、とかもそのひとつ。次の日の昼間の時間が少なくなった、もそれ。
ゲームやって楽しい以上に、テンションの下がるときも出てくる。それは都合が悪い。なので遅くとも1時までには寝よう、とか自然と修正されてくる。ゲームも、いつ始めてもいいけど、遅い時間に始めるとやめにくくなったら困るので、そもそも深夜に始めないようにしよう、とか。誰かが誰かに怒ったりして修正されるのではなく、自浄作用みたいな感じでちょうどいい塩梅に修正されていく。
ただ、私たち夫婦は夜型ぎみロングスリーパーなので、起きるのは早くない。ムリなときに短眠にしても、1日調子が悪い。なので、朝は気持ちよく起きれるまでしっかりと寝る。そうすると身体が軽い。仕事がはかどる。結果的に昼間に時間が余ってゲームできる。
ひとつ、例外的に遅くまで起きていてもいいとしたら、夫婦のどちらかが心に引っ掛かりを感じているとき。そのまま寝て起きてもモヤモヤして寝起き悪そうな案件なら、夜通しこんこんと話す。弱音もグチも吐きたおす。暴言も吐きまくるw そして、出し切ったらスッキリと寝る。それが明け方までかかろうとも、これだけはゲームと違ってやった方がいいと分かった。そして、実際にやってみたら、その回数も実に少なくて済むようになった。最近は、話し込むほとひっかかること自体がない。

こういう風に自然と修正されていい感じに磨き上げられてくのが、「本当になんでもいい。けど、なんでもいいわけじゃない。」ということ。このバランス感覚、分かるかな?自分の中でも、暗黙のルールを減らしていくこと。みずからの体感から決められていくので、押し付けられた感じもなく、守りやすい。
「本当になんでもいい」だけでゴリ押してルールにしちゃうと、長い目でみたら、自分にすら都合が悪かったりもする。わかっちゃいるけど、好きにしたいんだ!だけでわがままルール決めると、結局自分がしんどいだけだから。

で、こういうマイルールを心に秘めて集団行動を送ってみる。すると、別に自己主張するほどでなくとも、自分の快適な領域と、集団の要望とがそれなりにつり合いがとれていく。空気読み過ぎることも、気をつかいすぎることもなく。場合によっては、自然と自分に都合のいい感じでまわってくれることもある(←これはあくまでオマケだけどね)。

集団ってのは、個人と同じく人格を持っている、と私は思っていて。その人格が度を超すと、どちらかが「ふり回されている」って感じるかもしんない。そういう時はその集団を出ればいい。
でも、たがいに都合がいいからそこにいるのだとすると…?その人格同士は、アタマ数が違うだけで、ホントは対等。だから、その集団の希望するものとマイルールをいつもすり合わせながら、いい感じに自分を保っていることは可能なんじゃないかなと思う。

とはいえ、私自身はひとりでいることや少人数が心地いい。必要におうじて、どこかにいたくなったときに、またマイルールをつくって磨いてけばいい、と思う。


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Photo by Daniil Kuželev on Unsplash

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