最近、記事を書いている流れでコンセプトを書き直したんだけど(また近々手直しするかも)。
ここに思い切り矛盾すること書いている。
・自分の価値観を大切にして生きたい。世界を侵害されたくない。
・自分の世界が発展するためなら、これまで抱いてきた価値観を捨てる用意もある。
これは両立すると思っている。この例だけじゃなく、2つ以上の矛盾する価値観が両立してはじめて、人の心の世界は豊かになっていくんじゃないかな。
これまで、理論ガチガチでアタマ一辺倒で生きてきた人が、あるときまったく違うユルユル価値観に出逢って、「そうか!なんでも受け入れたらいいんだ」ってひらめくことってあるよね。私もそういう瞬間ってあった。そうなると、なんでも受け入れることがいかにも素晴らしく思え、ガンコだった昔の自分クソくらえってなったりする。
でもどちらの側面も受け入れてこそ、互いが活きるんじゃないかなと思っている。ガンコはガンコで、妥協しないでつきつめられるから、美意識やスキルが伸びる。ユルユルはユルユルで、それで行き詰ったときに自分を癒して立て直してからまた前に進むことができる。別の方法を模索するヨユウが出てくる。
これまでと全く正反対の生き方をし始めてこそ、前に培ったものが生きてきて。その繰り返しのスパイラルで少しずつ、じわじわ世界が深みと厚みを増していく。
自分のいち側面を、捨てた捨てたとアタマでは思っても、どうせ残るものは残るからだ。その時その時に自分に正直であればいい。
私の中にあった矛盾。
地球上に存在するすべての人間は素晴らしい可能性を持っている。ということはどこかで教わって(笑)、理屈は分からなくもない。
と同時に、いち個人としては、ふれ合いたい人もいれば、一生顔も見たくない人だっている。素晴らしいかもしれない、けどそんなにたくさんいらない。いい人かもしれない、けど毎日は会わなくていい。だってそこはやはり個人なんだもの。持てる視界は広い方が楽だし心地いいように見えるけれども、頑なに守りたいものだってたくさんある。そういう矛盾したこだわりが絡み合って、人が面白くなっていく。
そういう穿った面から、人を観察していくのが好きだったりする。