日記を書くことにした。

今日は、確定申告を提出してきた。
家で書類は完成してたから、5分も列に並べば提出して終わり、だった。これで前年までのもろもろがおわった感。
おわって、会場近くの生プリンを食べた。毎年の恒例行事になりつつある。

このブログにも書いてきたように、昨年まではマイナス感情や恐怖の残党らと付き合ってきた。それが年末をさかいに最終段階に達し(つまりいちばんツラい系ものと向き合い)、ほとんど、解放されつくしたに近い感じになってきた。
めちゃくちゃおだやか。プリンを食べながら、感情がアップダウンしないおだやかな幸せを感じていた。こういう幸せってのは、テンションが高いのとも違うわけだ。実に、じわじわとしたものだ。ハタから見たら誰にも気づかれずにできるドラッグみたいなもんだ。

で、このブログは、かつての自分のマイナス感情を観察し、分析したり自分なりの回答にたどりつくことによって成り立ってきたから、一瞬、こまった(笑)。
聖人でも星人でもない、ただの人間だから、そういうもんはなくなりはしないだろう。でも、かぎりなく感じる必要がない状態に自分を持っていけるようになったのだ。この記事の動画でも語ったように、かつて憧れた「のん気」な毎日を獲得したのだ…!ついに。

マイナス感情は一見、それだけ見ると排除したほうがいいもののように感じる。ただ、これまで学んできたことと体験してきたことによれば、問題はマイナス感情そのものではない。それよりも、どうやらそれにはばまれて「やらなかったこと」の方に財産があるようだ。

本当はやりたいけど、「こわい」という感情にはばまれて「やらなかったこと」。本当は言いたいけど「悲しい」という感情があふれ出すから「言えなかったこと」。この前に立ちはだかる「こわい」や「悲しい」と、適切に向き合っていけば、「やらなかったこと」が「やれた」に変わる。「やれた」「言えた」が増えていく。感情が満たされていく。波立ちが静まっていく。そしてそもそも、「こわく」も「悲しく」もなくなってくる。そしてあるとき、この向き合うという課題がある程度昇華されて、「のん気」な日常がまさに始まるわけだ。

感情にはばまれていた時期は、出来事ベースでも困ったことが起こりがちだった。お金が足りないとか、誰かがジャマしてくるとか、疲れ切って寝込むとか、イヤなタイミングで物が壊れるとかが、今思えば頻繁に起こってきていた。そういうときに描いた願望は、ニセモノだったりもする。そういうことから逃れたいために、別のレッテルを自分に貼るための願望だからだ。

それが、感情の波が静まるにつれて、本当に起こらなくなる。これが不思議だ。先にも書いたように、「マイナス感情を感じる必要がない【状態】に自分を持っていける」という、スキルめいたものが身につくからかもしれない。それもそうなんだけど、その身についたものを繰り返し活用して定着すると、そういうマイナス状況そのものが、自分から遠ざかっていくように感じるんだ。そして、ニセの願望もなくなる。実現する必要のあることがないから、ヒマになる。「のん気」の出来上がりだ。これは私の人生にとって初の、革命的な出来事だ。実に地味すぎてわからないのだが。

実に困った。ここに書くネタがなくなったからだ。
で、旦那くんに相談したら「じゃあ日記でいんじゃね」ってなって、肩書きを「日記ライター」にした。実に無責任かつ気まぐれな肩書きである。が、けっこう気に入っている。

そういうわけで、これからは「のん気」に生きる、ただの日記を書いていこうかと。よろしく。ちなみに今日のコレも日記だからな。いちおう。

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