心が紅潮するような感覚に火を灯す。

昨日、寝具のお店に敷布団を見にいったんだわ。普段ベッド生活だし、お布団など自分で選んだことが実はなかったんで、いろいろと勝手が分からない。

行ったのは、おそらく3~4年も前、オープンしたてのときにチラリと覗いたお店。当時は結婚もしてなかった。でもお店の空気感がよかったし、お布団のことをいろいろと教えてくれるとのことなので、(用事はないのに)また見に行きたいねと行ってたんだ。
そして、実際に買い物行くとは思ってもなかった。

お店内でいろいろと商品見てたら、旦那くんが壁に飾ってある絵に気づいた。薄い紙に描かれたものがさらりと貼ってあって、額にも入れてなかったんだけど、”for sale”と書かれていてどうやら売り物のようだった。

私は絵の具が溶けてにじんだような風合いの絵が好きなんだけど、まさにその絵はそういうリラックス感を醸し出していた。そういえば2階に上がってすぐの壁には、模造紙のようなひときわ大きな絵が貼られている。階下に離れていた店員さんが戻ってきたので聞いてみると、先日、植田志保さんという画家さんがお店に来られて、ライブペインティングをされたのだという(なんでも、この企業さんも90周年なんだとか)。

おお、その方知っているぞ、と。私は別にそう画家さんに詳しくないのだが、数年前、とあるホテルに飾られてたオブジェがその方の作品で、気に入ったので名前を憶えて帰ったんだ。

天井から吊るされるオブジェ。

そしていっとき、当時のパソコンのデスクトップは植田志保さんの絵にしてたのだった。心の柔らかい部分に触れてもそっと包み込んでくれそうな、よりそうような印象だった。

そうなんですか、お好きなら!といってその店員さんは、お店のリーフレットをまとめたものをくださった。歴代、志保さんが挿絵を描かれてきたらしい。
いただいたことそのものが嬉しいのもあるけど、それよりも、歴代のリーフレットを(これまた)グラデーションカラーの糸でていねいに束ねていらしたこととか(私のような人に渡そうとあらかじめ思ってたのかな)、その画家さんの作品を大事に扱っていることとか、そういうことが、私をひたひたと心地よい感覚に満たしてくれた。

これがいただいたリーフレット。

なんてことない出来事だけど、こういうささいなことが繋がるととても嬉しい。

・普段行かない、いちど立ち寄っただけの寝具屋さん
・たくさん知ってるわけでもない中で、好きなアーティスト
・カルチャー面をだいじにしているお店

こういう偶然が1回の訪問でつながるってことは、なにかある!と思いたいじゃない(笑)。とくに、こういう「好み」が関わることって、外部の人と重なることはそう多いわけじゃないから嬉しい。
そして、その店を後にしたときは、ほのかに心地よい感覚が心に残った←まだ何か買ったわけじゃないのに。

シゴトって、シゴト内容そのものだけでは終わらないんだよな、ってこういうときことさらに思う。具体的なモノやコトだけじゃなく、「感じてること」の質感。これを伝え合うことで、人と人との別の回路に繋がりをつくることができる。
そのとき、そこに携わる人たちの営みに血流が流れ、イノチが宿る。シゴトとその他の営みは、分かれることのないオーガニックな回路だ。

逆にいうと、この感覚が少ない場では、私はなにか息苦しい思いをしてきたなと。目に見えるものだけが大事なわけじゃない。心がポッと紅潮するような出来事がほしいと思っている。
こういう血の通った感覚を、あらためて私の中に宿し続けていたいな、と。思った出来事だった。


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