前回記事の続きです。
⇒目的地に早く着くのは、チューニングが取れている方。
ちなみに、私がなぜ「走る」ようになったか。なんですが、
当時のブログにも
「今年も走り抜けました…!」
「ここんとこずっと走ってます」
などの記述を意気揚々と(笑)書いてきた気がします。走ることが美徳だったのでしょう。
その理由を強いて思い出すなら、幼少期に母親に
「はやくサッサとしなさい!」(←なぜか二重語)
という言葉を呪いのように叩き込まれていたわけですが、
当時の私は「ハイハイ、『さっさっさ~』」
などと、飄々と母に返していてムカつかれたそうです(笑)。
↑いやいやいや、幼い私、マイペース守っててグッジョブって感じですが。
ただ、そのことだけじゃなくって。学校でも会社でも、やみくもに急かされることって多いわけです。
そんな環境の中、走るほど速く、目的地に着く。と、信じていたから走ったんですよね。
ただ、その「目的地」ってなんなのか?というと、
「走ってる」状態だとこれがまた、気づかないんですよね。
それはなぜかというと、「走ってる」場所は、永遠に「目的地」ではないからです。「目的地ではないから」走り続けているのであって、そのスタイルを続ける以上見つかりません。もっと言うと、次元が違うのです。
「走ってる」ときには
「走ってる」動機に沿った思考回路をしてるからですね。
やみくもに「走ってる」ときは
自分がどう感じているのか?のスイッチをオフにしているので
道ばたに自分にピッタリ合ったものが落ちていても感じることができません。
自分のペースを整えてくれる人に出逢っても「遅い!」などとという理由だけで排除したくなります。「速く」進んでるにも関わらず、 趣味の時間やゆっくりお茶する時間すら取れなかったりするんですよね。
本末転倒……
マイペースで生きる生き方、というのは、マイペースをやってみて初めて見えてくるんです。
マイペースでしか出逢わない人がいたり
マイペースでしかやってこないお仕事があったり
マイペースでしか成功しない事柄があったり
マイペースでしか見えない体験ってあるんですよね。
そしてそのペースに慣れると、「走ってる」には戻れなくなりますね(笑)。
その先に何もない、もしくはその先にあると思ってたものが人に信じ込まされてたものに過ぎない、ということに気づくから。
つまり、「走ってる」ときは『「走ってる」と得られるものがある』、という感覚だけがあるから走れたわけです。その感覚が他から与えられてて、しかも本当かどうか?いったん疑問が湧いてしまったならば。もはやそんな餌のない重労働なんてツラいばっかりでできないわけです。
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マイペース、つまり私が勝手に言ってる「チューニングが取れた状態」は
それ自体が目的地、と言ってもいいほどです。
その状態で考えると、人との違いが気にならないし、自分の発想を大切にできるし、生活そのものが派手じゃないのに充実した、満足できるものになってきます。
能力も、狙ってないのに(だからこそ)自然と発揮できてしまいます。
他ではなく「自分の感覚」を信じているからなくなることってないですよね。
これが自信というものです。
案外、地味なのです。刺激がないので、誰も気づかないのですわ。
もちろん、人生いろいろ、環境もいろいろですからいつもチューニングが抜群というわけではないかもしれませんが…。
そういうときは、「今、チューニングずれてんだな」、これを自覚するだけでOKです。
あと、維持するコツがあるとすれば自分が快適なペースや状態でいることをそのままで、喜んでくれる人や環境と一緒にいることですね。ペースが速い人は、速くいさせてくれる人といると、快適なはず。
その際、相手が「いい人」かどうか?とかご褒美をくれるかどうか?は当然、関係ありません(笑)。
たとえば私の場合ですと、母親がまったくペースが違う。
彼女は日常生活の動きが敏捷ですから、私の生活を見ると、どうしても怠けてるように見えてしまう。ただ、ペースを乱そうというつもりはないはずです(たぶん)。私のためにを思ってくれてるのは重々わかるのでありがたく思いつつ、距離もとるわけですね。
できる限りで、参考にしてみてくださいね。