前回まで書いたみたいに、ここ数年、
「なるべく本当にやりたいと思ったことをやろう」
「その行動をひらめいたときの気持ちに『やらなきゃ』が勝っていたらやらない。」
という方針で動いてきた。
そうすると、本当の本当に「自然に」身体が動くことしかやらなくなる。気がつけばやっていた、ってことに時間を費やす。意図が少ないから、消費エネルギーもものすごく効率がいい。
その結果、身体がやりたいと思っていたことは、それまで思いもよらなかったことだった。
料理。
今も、没頭するときは半日くらい費やすこともある。でも、アタマで考えているうちは、「料理がやりたいことだ」なんて意識したことなかった。むしろ苦手だし面倒だと思っていた。今もアタマでは、やりたいことだと自覚してはいない。
でも、それまで毎日ブログを書いてた私はその手を休め、気がつけば朝起きてすぐに台所に立つようになっていた。
理由はカンタン。
美味しいものへの好奇心。
寝て寝て、エネルギーをチャージした後はお腹がすく。今度は動くためのチャージをする。生物としては当たり前のこと。
それにプラス、できるなら美味しいものを食べたい(この欲求はもともとあった)。
そういうシンプルな理由から動けるようになった。
今思えば、それをさまたげる理由がいくつもあったのかもしんない。
料理に時間かけたら、他のもっと大事なことができなくなりそう とか
周りの人より上手ってわけじゃないし とか
美味しいもの作ったところで食べ過ぎて太ったら困るし とか
ある意味、そういう理由は今だからこそ全部消せている。
もっと大事と思われることは、食事を差し置いてでもやってきたし
人と比べて上手なことも、やる気がなくなったら終わりということも理解したし
もはや太っても、人目を食欲より優先する理由もないし←おいww
というか太ってもエクササイズなどで挽回する心と時間の余裕があるし
いろいろ経験してきた今だからこそ。
プラス、ゆっくりと過ごすようになったからこそ。
自然と「やりたくなること」が発見できたと言える。
そして、好きなことに時間を優先すると、いくら没頭しても、結果として時間が余る。
いつもいつも「時間が足りない」気がするのは、結局「いずれやりたいのに」と思っていることをずっとずっと後回しにし続けているから。その消化不良感がさらに、「時間が足りない」感覚を生み出し続ける。足りないから焦る。焦るからうまく進まない。何がやりたいか余計にわからない。
いずれ・将来・出世したら…南の島でのんびりしたい。と思うのなら、今できる範囲でやってみた方がいい。沖縄でも、九州でも、四国でもいいから。それが本当にいいことなのか、やりたかったのかが今すぐわかるから。