社会に(ほんの少しだけ)適応していた若い頃は、
週に1回、友達とお茶しながら本音が言えればエネルギーは蘇ることができた。
適応力って、磨けばつくもんだと思っていた。
でも、生来の自分の性質って、裏切れないんです。
「そのように生まれてこよう」としたわけでもないのに
どうしようもなく「これが自分なんやな」ってこと、ありませんか?
あの世からの宿題のごとく、それを生きないと「及第点」をもらえないような感覚。
この動画を観て、そのことを思い出しました。
今はまったくそんな「社会適応」からほど遠く、
自分の心の声をキャッチしてくれる人と過ごす機会が多くなった。
そうなればなるほど、ますます
「本音のほんとうの私」から遠い部分では生きられんくなってきた。
それがこの数年、ほんと加速していて、
今では毎日、自分に正直なのか点検してないとガチで体調を崩すレベル(笑)。
アタマの配線をせっかく自分仕様に組み立ててきたのに、
社会適応モードに無理にしようとすると、そのたんびに配線をつなぎ直さなきゃいけない。
それは、持たんって。
でですね、今月は特に、もう諦めてほんとの自分を語れ、ほんとうを生きろという身体からの圧を感じています。
それがどうやら、生きるということらしいです。
肉体が血液に載せて栄養を運ぶのと同じくらい、自分という情報を世に運ぶことが、生きるのに必須。
そういう時代なのかもしれん、と思っています。
UnsplashのKelly Sikkemaが撮影した写真