ここ数日で、アタマの中にある大きな枷が外れた感覚がありました。
まずは不快感が湧いてきて…
その不快感を観察していると、ある自動思考がセットになっていることに気づいて…
その自動思考の言いたいことを聞いていると、
「人をコントロールしたい(できないと困る!)」
ということをどうしても言いたいようでした。
その観念が、ずっとずっと「自動思考」としてグルグルと回っていました。
何か日常生活を送ろうとしても、そっちに集中力とエネルギーを持っていかれて、ちょっと手が止まる。
「人をコントロールしたい(できないと困る!)」
いい機会なので、さらに観察を続けました。
このコントロールができることによって、自分にとってどう「いい」ことがあるのか?
それは、…「自分が正義でいられること」でした。
いい子で、穢れがなくクリーンで、正しい行動はすべて行える、
それこそ、自分のことはすべてコントロール下にあり、先を見据えて行動する…
正しい人間。
そうありたいと考えている自動思考が、見えました。
驚きでした。
なぜなら、自分自身は、とっくの昔に、
自堕落でどうしようもなく無力で、
人に無関心で冷たいこともあり、
自分を優先するような…
そういう側面も大いにある、そういう自分を認めている、と思っていたからです。
そう、大枠では認めていましたが、人生の局面が変わると、同じ文言の観念でも、違った意味を持つことがあるんですよね。接する相手によっても、そう。同じ観念でも、消えずに活性化されることもあります。そして今の新しい局面では、自分のネガティブな側面を認めてはならないと思っていた。ことに気づきました。
自動思考って、手綱を握れないし、手ごわいのですが…その一方で理にかなっていないことも多々あります。
そこが自動思考の弱点。そこを丁寧に、観ていきました。
「人をコントロールしたい(できないと困る!)」
っていうけどさぁ…コントロールってできるの???
と問うと…最終的には「できない」と。
そして、
「自分は自堕落でどうしようもなく無力で、
人に無関心で冷たいこともあり、
自分を優先するような…そういう人間でもあったよなぁ」
と、あたらめて認め直しました。
だからといって、責めたり、変えたりしようとせず、ただ淡々と受け入れていく。
そうすると、「人をコントロールせねば!」「正義であらねば!」という観念がチカラを失って…そこの部分にすっぽりと穴が開いたように消えていきました。
この…穴が開く感覚がするのが、イヤだったんでしょうね。以前は。
でも、穴が開くよりも、この観念がグルグルと脳内をめぐり、エネルギーが消耗する方がダルくなってきてたんです。
じきにその穴も、しぼんで消えていったように感じました。
気づかずに持っている観念は、エネルギーを奪う。逆にいうと、その観念がなくなると、本来自分が持っていたエネルギーが取り戻されます。後ろに引っ張られながら全力で前にダッシュするような感覚がなくなる。
実際いま、先月より気持ちカラダが軽いです。自動思考を止めようとチャレンジしていってるプロセスで、徐々にですがこういう体験が積み重なって元気になってきています。
要らん観念、はじめからすべてなくなればいいのに…!と思いますが(笑)。その葛藤があるからこそ、内面が耕されているようにも感じます。そして、気づいたときには表面に出てきているときでもあるので、比較的、取り除きやすいな、とも思います。
ちなみに、数年前まではこの観念を取り除こうと、感情を感じ切る(そしたら消える)、というエクササイズを主にしていたのですが…どうしても消えない観念があってどうしたらいいかと思ってました。
今回は、さらに根っことなる自動の思考回路を見つめていく方が、うまくいく場合もあった、という例です。
ちょっとマニアックなのでおススメできるとは限りませんが…自分的にはアリかもなと思っています。