昨年夏から、自動思考を止めるチャレンジをしてます。という話の続き。
おかげで、徐々に自動思考にとらわれることが少なくなりました。
そして、自動思考が仮にわいてきても、早い段階で気づくことができるようになりました。
気づくと、その思考と距離がとれる。
場合によってはそこで止められる。
つまり、そこにエネルギーを取られることが限りなく少なくなります。
自動思考にがっつり巻き込まれていた1年前は、カラダは今ここで何もしていないのに、
ひたすらエネルギーが消耗されていくというアリジゴクのようなしんどさを感じてました。
場合によっては、寝てても消耗している。
そういう状態のときって、自分が見えてません。
具体的には、
カラダに意識がいってない。
今見えてる景色が見えてない。
今聞こえている音が聞こえてない。
アタマにある自動思考の妄想が世界のすべてー!みたいになってしまってます。
だから、逆をやるんですよね。
カラダに意識を向ける。
今見ている景色をちゃんと意識して見る。
今聞こえている音をちゃんと意識して聞く。
そうすると、9割がた、
「今現在は何も起こってないやん。まだ今は安全やん」
ということに気がつくはず。
(まれに、本当に今何か大変なことが起こっていることもありますが、
そういう時は目のまえのことに対処するしかないので、自動思考を止める対象外です)
自動思考って、だいたい、ことが起こる前に「予想してなんとかしよう」
として慌てて、わいているものだから。
でも、同じところをグルグルするってことは、思考ではもはや、解決しないわけですよね。
だから止めた方がいいわけです。
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そんなわけで、
・思考にエネルギーがとられない
・カラダに意識を向けられる
おおまかに、この2つができるようになり、私の自動思考は完全に止まらないまでも、
ずいぶんと静かになってくれました。
そこで起こったこと。
自分のカラダのエネルギーが上がる段階が、ハッキリと感じられるようになったんです。
この取り組みを始めるときに、オンラインサロンに目標のひとつとして
「自分のエネルギーのキャパを上げる」と書いてました。
そもそも体調不良になる以前から、うっすらずっと疲れやすさを感じてたので。
それが、体調の上下を繰り返しながらも、
ハッキリと「今週は先週よりも明らかにエネルギーのレベルが上がった…!」
と手ごたえを得られるようになりました。
もう、以前の状態にはしばらく戻らないだろうな、
というしっかりとした自信というか。
それと同時に、エネルギーレベルが上がったとたん、
以前はダルくてできなかった行動が、おのずと起こるようになってきたんです。
そもそも私は、10年ほど前に燃え尽き症候群的な経験があり
(というか、それまでも何度も燃え尽きてきたw いわゆる心身症というやつです)
「おのずと起こる行動以外はムリしてやらないようにしよう」
という生き方にシフトしていきました。
最低限、日常生活送れてたらそれはそれで幸せなので、
まあいいかな、でも、できればもうちょっとエネルギッシュな方がきっと
楽しいだろうな、と思ったりはしていました。
自分なりに運動したり、いろんな栄養を摂ったりしてましたが、
それでも、キャパの上限が上がってる感じはしない。
それが、前述したエレベーターの呼吸とか、カラダに意識を向けるとか、
自動思考に気づいて距離を取るとか、やっているうちに、
グイン↑ と上がる音が聞こえるかのように徐々にキャパが上がっていったんです。
そして、「おのずと起こる行動」のレベルが、勝手に上がりました。
昨日は1つしかやれなかったことが、2つ平行してやれる、とか。
特に気合を入れてないのに、ダラダラと先延ばししていたことにスッと手が伸びる、とか。
あと、人と集まったときに、5人の前で話すのもバクバク緊張していたのが
10人の前でも、普通に話せるようになったりとか。
(変化がけっこう数値化できる)
自分からオンライン上で話しかけることをまったくしなかった時期が長かったけど
「コレについては話してみたい!」と自ら人に接するようになったりとか。
そうそう、放置がちだったこのブログを書いているのもそのひとつだと思います。
絞りだしても出なかった言葉が、普通に出るようになってる 笑。
ちなみに、これらの呼吸法などのワークの特徴は、とにかく地味なこと。
繊細にカラダの状態に耳をかたむけるわけなので、
でも、そのかいなり驚かれるような劇的な!笑 変化があるわけじゃありません。
しかも、すべて主観なので、人に証明することはできません。
ある意味、地味なことを喜べるようになるメンタルは鍛えられるかもしれません 笑。
でも、その甲斐あってか、微細なエネルギーレベルの上下が本当に手に取るように
分かるようになってきました。
自動思考が止まると、直観の声をとらえやすくなる、と言われています。
この微細なカラダの感覚が分かることが、おそらくその一歩目なんだろうなと思っています。