針の穴ほどの選択肢を、諦めない。

続きものの記事を書いていたつもりが、完全にいきづまってしまいました。あと1記事でいったん終わるつもりだったのですが…。なので、ちょっと別のことを書いていきたいと思います。

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昨日YouTubeを観ていると、おすすめ動画に映画『マトリックス』の解説動画があがってきました。そういえば、近々続編が出るようですね。
映画めちゃ観るわけではないのですが、『マトリックス』のシナリオの奥深さはこれまで観た映画の中でも印象的でした。解析すればするほどおそらくずっと深いのでしょうが、今回はライトに。

この映画のテーマのひとつが「人間には本当に自由意志はあるのか?」。人間が自分で決めてきた、と思ってきた選択と決定の繰り返しが、実は「機械」の想定の範囲内だった、という描写があります。

映画内では、人間 vs 機械 というストーリーで描かれているのですが、実際の人生でもこれと似たようなことを考えることがあります。
私自身、自分の人生、自分で決めるぞ、人には流されないぞ!と決意を繰り返し行動しましたが、同時に挫折も繰り返してきました。そして、自分に不向きなことや流れに乗れなかったことを諦めたりもして、自然にたどり着いたのが今の人生です。ちなみに、それなりには幸せだと思っています(笑)。
これは果たして、自由意志の人生を生きれてるのか、運命、はたまた宿命だったのか(ここでは「運命」も「宿命」も、一般的にいう【人智を超えたもの】を指します)。

ひとたび自分の人生に自覚的になったとき、なんでも思い通りに変えてやろうという決意が芽生えました。が、それまで生きてきた立場やシナリオが人によって違う以上、向き不向きがあるのも否めません。生まれた地、親兄弟、だいたいの見た目、人種など…。これらは変えられないこと。「自分を知る」ということは、すでに持っているものを知り、それを受け入れ、自分に最適化された人生を送ることでもあります。

ただ、やっぱりその中にもいくばくか残された「自由意志」を、諦めたくはないなぁと私は思うんです。仮にいつか死んだとき、「ああ、なあんだ、これは全て神様のシナリオ通りだったんだ…手のひらで遊んでただけだったんだ…」と悟ったとしても。その時々で自問自答して葛藤して自ら選んだと思えたなら、きっと後悔はないんじゃないかと、そう予想しています。

そして多分、自由意志というのは「ある」「ない」の2つに1つ、とかじゃなく、自分が生きていく中で伸びたり縮んだりするようなものではないかと。自由意志をハナから諦めて、「なるようにしかならん」と思っていたらたぶん、自由意志の逃げ道はどんどん縮まっていくでしょう。あぁ、それでもおそらく、思い直した時のために、最後の最後まで針の穴ほどはチャンスは開いているんじゃないかと、私は勝手に思っているのですが。

そして、自由意志を諦めずに選択しながら生きていれば、選択肢はいくばくか広がっていくのではないかと。
たとえば今日、「健康のために運動をする・しない」で「しない」を選んでも誰も咎めはしません。でも、「する」を選んだら、明日の元気がちょっとだけ増えて、ちょっとだけ行ける場所が広がるかもしれない。自由意志ってなにも、壮大な人生の決断じゃなくって、そういう小さなことに宿っていると思うんです。
そして正解も決まっていない。心の幸せのためにジャンクフードを選んでも、体の幸せのためにフレッシュな野菜を選んでも、いい。それに合わせた未来が、また連綿と広がっていくだけで。

いずれにしても、その「針の穴ほど開いている自由意志のチャンス」を、まずは自覚することが必要だと思います。後悔のない人生のためには。全ては宿命だと諦めて、ただ周囲の思惑どおりのエスカレーターに乗っても、その先に誰かがお花畑を用意してくれているわけではない。もちろん、お花畑がある可能性も否定はできませんが(笑)、そのプロセスに自分が関わったかそうでないかで、人生への熱意って変わりますよね。
私自身は、選ぶプロセスにささやかでも自由を感じることが、日々の充実に繋がっているんじゃないかと考えています。

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