フェイクの感情を見分ける。

自分のここ十数年の道のりをつらつらとつづっています。まあまずは、自分自身の整理のためなんで、初めて来た人が読んで発見があるかというと疑問ですが、ブログというのは最初から順番に全部読んでもらわなくていいのは都合がいいですね。まずはダイジェストを書き出してみて、そこから徐々に洗練させて、まとめていければと思います。

引き続き、

人生黒字化計画・改

人生を黒字化するためにたどってきた道のりを記録してみようと思います。

②マネーゲーム脱出期

上のリンク先では、特定の本を紹介してこの時期をまとめていました、もっと詳しく言うと、前回の時期に出た結論、

本当に分かってないのは自分自身の気持ちなのだ

を一歩進めた時期です。とにかく自分自身の気持ちを分かり、感じて、昇華する時期。

「マネーゲーム」と称しているからには、お金に関係ある話じゃないの?となりそうなところです。それが実はガッチガチに関係あるのですが、まあ少しずつ語っていきます。

①古今東西の心理学を学んだ時期 にやってきたこと。それは、何かの目標を達成した後に⇒本当にやりたかったことをする。この流れに疑問を持つことでした。前回、何も掴んでなかったと書きましたが、書いているうちに思い出し始めましたね。
それまでは、何かの目標(人に誇れる実績なり経済状況なり)を達成した人だけが本当にやりたかったことをやっていいのだ、となぜか思い込んでいました。でも、やっているうちに「これはおそらく、行けども行けどもたどり着かないやつじゃね?」と思い始め、いきなりやりたいことから着手するようにしたんですね。誇れる実績なりを達成できないのって、つまりは、まず最初にどうでもいいことや苦役めいたことをやってるからじゃないかと。嫌な仕事ってできるだけ手を抜こうと思ったりとかありますよね。仮に無理やりやろうとして、上司なりに監視されたり、褒められたり叱られたりしたとしても、そもそも関心のないものって最大限に頑張れないんですよね。

だから、とりあえず今現在分かる範囲で、本当にやりたかったことをやってみて、話はまずそれからだ、と思ったわけです。最大限頑張ったところで大したことないかもしれない、けどそれはやってみるまで分からない。そういう人体実験が①の時期だったわけです。

で、実際にやりたかったこと(私にとっては色彩や人の魅力について研究したり発信したり)をやってみました。これでハッピーエンド、ちゃんちゃんとなりそうなものですが、そうでもなく…。そこで徐々に気づき始めたのは、

私たちは無意識のうちにお金によってフェイクの感情や動機を醸成されているのではないか?

ということでした。はい、ようやくお金と繋がりました。
あ、先に言っておくと陰謀論みたいなことを言いたいわけじゃありません。この世の中には黒幕がいて、人間を支配しようとしてお金を利用し…うんたらかんたら…みたいなことはあるかもしれませんしないかもしれませんが、分かりようがないことなので私は神話程度にとどめておきます。

そうではなく、あくまで人間の認知の仕組みがそうなっているかもしれないということです。お金を媒介にして、人生のゲームの主導権を握られてしまっているかもしれないよ(双方にそのつもりはなくても)、ということです。

たとえば、貯金をして安心感を感じたとします。
でも、その貯金が奪われたりなくなったらどうしよう、と思って恐怖感を感じたりします。
その恐怖から逃れるために保険なり投資なり仕事をしていっとき安心感を感じます。

でも今度はその投資先がどうにかなったらどうしようとか、仕事が失われたらどうしようと、恐怖感を感じ…。

この無限ループ。ここにハマってしまった人は、いったいいつ人生を楽しんでいるの?ということです。

そしてこの一例を見たら、誰か(闇の組織)がこの人に恐怖感を与えようとしているわけじゃなく、自分がおのずと恐怖に巻き込まれているだけだ、ということに気づくかもしれません。

それが人間の認知の仕組みによって、なんとなく巻き込まれてしまっているなら、そこから一旦出て、冷静な目で世の中をもう一度楽しんではどうだろう?もしくはその方法があるんだろうか?

そういう問いから生まれたのがこの時期でした。

ここで私は、私を動かすフェイクの感情と自然な感情とを見分ける修行(というかエンターテインメント?)に入っていきます。

結論からいうと、この時期だけで何かが解決したわけじゃありません。でも間違いなく人生黒字化計画において、ゆとりのあるモノの見方・生き方をする上で揺るぎない土台になったと感じます。

以前の時期の目標は、

・人の気持ちを理解し、成長し、より価値の高い人間になったり社会的にもうまくいくこと。

でしたが、この時期の目標は

・社会的により良くなることやよりうまくいくことだけが最善ではない、と体感から知ること。

でした。はい、何言っているか分かりませんよね。よいことが善じゃないの?という。私自身も当時は分かりませんでした。が、それでもこの時期を過ごした理由。それは、「より良くなろう」とすることへの限界を感じてたから。30代後半だったので、ここから急にエネルギーに満ちてなんでもできる人間に生まれ変わる…!ということは考えにくかったからです。それができるなら20代にできていたはず。

だから私は、フェイクの感情にむやみに動かされて生きることから脱出しようと考えたわけです。

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