目の前に関心を注ぐだけで、視界は変わる。

昨日、豚バラのカレーを作った。豚バラは、数あるカレーの中でも好きな具材。

が、昨夜は、なんか別のことに気を取られながら料理してた。
工程自体は慣れているし、レシピも手順どおり作った。なのに、結果がコレ。見た目がイマイチだった。

左が昨日のカレー。右は似たレシピで以前作った豚バラのカレー。

右の方が何というか、澄んでいるの分かるかしら。伝わるかしら。
左は工程も若干手を抜いたので、グダグダの煮え切らない炒め物みたいな見た目。味は普通に美味しいものの、もうちょっとなんとかなるやろ、って感じだった。けど、気づいたにはもう取り戻せないとこまできてた。

料理そのものをちゃんと見て集中している日って、こうはならないのね。
仕上がりの悪くなるポイントを見極めてるから、回避できる。見てるものが、料理<レシピ<手順になってるとダメ。初心者の時の料理に見ばえがしないのも、料理を見てないから。

料理に心が表れるとはよくいったものだわ。
料理の得意な人って、盛り付け以前に料理そのものが輝いている。いいお皿を使ったり、飾り付けたりはもちろん大事なんだけど、ざっくりと盛り付けてもなぜかおいしそうで、美しく輝いている料理ってのがある。そういうものでわたしはありたいw
余談だけどもちろん、そのあとの写メの撮り方にも心が入っているかどうかで見ばえって変わる。

料理だけに限らない。
興味関心のないものって、最上に仕上がりようがないよね。工程通りに何万遍やったって、それ自体に集中も関心も寄せてないのだから。興味関心があれば、細部を見過ごすまいと、目を凝らしている。

たとえるなら、好きなアイドルの動画を観るときに、動きのひとつひとつに目を凝らして、ワッキャワキャとはしゃいでいるようなもんだわ。推しのまばたきひとつの魅力も見逃さない。それくらいの関心度合いでやれば何事も成し遂げるに違いない、と誰もが思う。その対象を見つけるのがまあ、運というか、至難のわざってところだが。

そういえば興味関心のあるモノゴトって、工程をアタマで描いていても、行間にあれもこれもとイメージが湧くような気がする。文章に書ききれないほど。そして興味のない人にはゼッタイできない発見がある。
なにかに興味関心があるって、それだけでも才能なのかもしれない。


Photo by Michael Longmire on Unsplash

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