以前、ご相談に乗らせていただいた方のお話で
「スタートし始めたばかりだけど…うまくいきそうになると体調を崩します。向いてないかもしれません」
といった内容がありました。
内容は、かなりぼかしていますが、こういったご相談は珍しくありません。
…というか、私自身もこれまで何万回、そういう想いに取りつかれたか分かりません。何万回は、言い過ぎか…w
でも、なんか。私がどんなにどんくさくても、諦めるのは嫌だなあ…って思ったんです。だって「何か特定のことに向いてる向いてない」とかって他人の基準じゃない?って。他人の基準にしばられたとしたら、その諦めた後のン十年の自分の人生を、ブチブチ文句言いたくなるような生き方をしていくわけですよ。
であれば、岩にでもかじりついている方が何倍もマシなわけです。少なくとも、私はそうでした。
んで、そんなことを思ってるくせに、当時は人の顔色伺いまくりで、言いたいことは小声で一部の人にしか言えない。他人の基準で「ダメだ」と言われないか
ビビッている(笑)。身近な人にもほとんど心を開けないような、今にもまして、超言動不一致な私でした。
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そんなとき、私が絶対に諦めない、と決めたこと。それは…。
「●●でうまくいくことを諦めない」、
とかではありませんでした。
「●●を辞めない」、
とかでもありませんでした。
「●●は絶対にやりとげる」、
なんていうマッチョなものでも
ありませんでしt。
私が絶対に諦めない、と決めたこと。
それは、「自分として生きていくこと」。24時間、365日、それに限りなく近い日時を「自分として生きていくこと」。
これを決めました。
たぶん、ブログ等で何度もお話したことがあるとは思います。
当時手さぐりながら選んでいた手段は完全に他人軸だったので(他人に評価されてナンボの生き方を選んでいた、ということですね)、うすうす、確信がなかったのでしょう。つまり、「何をやっていいか」は、まだ分からなかった。だから、「何」にこだわることは辞めたのです。
飽きたら、辞めてもいい。
向いてないと感じたら、変えてもいい。
なんとも、ユルい基準です(笑)。
まあ世間はそんなに甘くないかもしれませんが(笑)、それでも私は、思いっきり自分に甘い基準を課したのです。
「自分であること」
それさえ諦めなければ、生きてもいいよ、って。
実は、ある側面からみたら「自分でい続けること」ってこの上なくハードなのでしょうけど。他人のようになれない私にとっては、この基準が何よりも最底辺だった。それだけです。
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■向いてないかもしれない。
人生には、こう思うことが何度も訪れると思います。で、それでいいと思います。ためしに、「向いてない」と思ったとしたて、その後に何があるのか。そこをじっくり考えてみたらいいと思います。
「その後に何かあるわけ、ないじゃないですか」というイヤ味が言いたいのではありません。その後になにがあるのかは、自分にしか分からないから。それがあるかないかを、他人基準にゆだねるのを辞めてみてもいいってことです。
私は、初めてビジネスをしたときは、美容部員しか起業方法を知りませんでした。カラーで活動を始めたときは、カラーしか私には表現方法がありませんでした。福岡から大阪に越して来た頃はブログさえ続けられていればいいと思ったほど最も私を表すのはブログでした。
その時々のタイミングと経験値によって、全力を注ぎたい方法は変わっていました。振り返ってみると、「自分と人の魅力や能力を開花させる」というとっても曖昧な方向性に私のコアのひとつがあったんだな、と思えました。あくまで、振り返った後にですが。
いずれにしても、特定の分野や「コレをやる」という物事のことではなかったんですよね。
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そんなわけで、まとめますが…
今の目の前の壁が越えられるか越えられないか、と悩んだり苦しんだとき。
■人生でクリアしたい最低限のハードルは何なのか?
これに立ち返ってみるといいかと思います。人によって違いますよね。どんな状況であれ、人に対して誠実でありたいとか、どんな状況であれ、自分が真実だと思ったら貫きたいとか、「それさえ一貫していれば自分は納得できる」、というもの。
それに気づけば目先の成功失敗に振り回されず、じっくりと何かに腰を据えて、
取り組めるのではないかと思います。
Photo by Murilo Viviani on Unsplash