今年思うのが、
ホントに、ホントに表面的な人間関係というものが通用しなくなってきているなぁということです。
コミュニケーションテクニックとか人に好かれる人間像ってものを
維持するのに疲れた人。たくさんいます。
そのようなテクニック丸出しで近づいてこられても今やバレバレですし、
相手が意味もなく「いい人」すぎると、逆に疑心暗鬼になったり警戒してしまうこともあります。
ただ、じゃあそのようなテクニックを
全放り投げしてしまったらいいのか?
というと、それもまた違うと思うんですよ。
キレイな自分が本当の自分ではない!自然体がいいんだ!
ということでいきなり怒りをぶちまけられたら、
それはそれでドン引きしますよね。
やっぱり伝え方については
ホンネを伝えつつ、相手の気持ちも尊重しつつ、
自分なりの距離感をはかれるよう磨くほかないと思います。
それが、時々ブログなどで発信していた
「“ありのまま”から一歩踏み出そう」という概念。
今まで、心にテクニック武装をしていた部分を脱いで
自分に正直になる必要はあります。
ですが、それを工夫も努力もなしに、
ただわかってもらおうとするのはナシだな~と思っています。
結果的に、伝えたい通りにはわかってもらえなくて
苦しむのは自分ですからね。
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つまり、かつては、
何かしらの団体ルールにのっとって、そこで通用する自分であればよかった。
そこの空気になじみ、そこのルールで好かれる自分。
でもいまはネットがあり、住んでいる地域や特定の団体を越えて、あちこちに繋がりができ得る時代です。
過去の考え方でいうと、地域や所属が変わるたんびに、
まったく違う人間に演じ変えるのか?ということになります。
と思うとかなりしんどいですよね。
だから、これからは
団体 → 個人
が軸になってくる。
つまり、自分個人の感性や価値観を主軸にしてどんどん表現していって
それに共感してくれる人と繋がる方が早いし、自然です。
ただ、ちょっとここでひっかかる部分が出てくる人がいます。
それは、不特定多数に自分の考えを表現する必要が出てくる、ということ。
個人を軸にして生き始めると、
毎日が「人前」に出ていくのと同じことだと思うわけです。
だから、自然体に生きつつも、適度に自分を
「誰かに見られているもんだ」と思って過ごすこと、これ大事だなぁって。
別にネットがない時代だって、日ごろの行いはお天道様が見てるって、
言ってましたがよね。誰が見てるのかは分かんないものなたんで、
実は普遍的なことではあるんですが。
たとえばですよ。
女性がパンツからスカートに履き替えると
脚を露出し、「見られている」という緊張感から美しくなっていくように。
発言も「見られている」という気持ちで、自分をオープンに魅力的に伝えていくこと。
この能力がみんな必要だと思います。そう、みんなに。
ここで言う「魅力的に」は冒頭の「人に好かれる表面的なテクニック」とは
もちろん違いますよ。それ、下手にやりすぎると「風見鶏」って言われかねませんから。
そしてこれはお仕事でネットを使う人だけでなく、ね。
どこから恋活のご縁が舞い込むかも分かりませんし。
どこから活躍の場が舞い込むかも分かりません。
ということです。チャンスでもあるんです。
いずれも私も、何度か経験ありますから。
ええ、ホントです(笑)。
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