私はもっとひろい世界に生きているはずだ、と思い出そう。

前回の記事
⇒ ほんとうに無限の可能性なんて、あんの?
の続き、書いていきます。

書くにあたって「アタマと五感・感情・魂」についての記事も見直してみたら、当初思ってたより読みにくかった…。
なので、まずは整理整頓からはじめていくね。

まず、前提としては
みんなと生きている世界=世の中=アタマ=理屈で共有できる世界
個々人が生きている世界=思い込み=五感・感情・魂=理屈で共有できない世界

ってことが言いたかった。これがうまく言葉になってなかったかも。
「アタマ ⇔ 五感・感情・魂」って分けてるけど、厳密にいうと境界線なんかない。両者はどこかでつながっていて、五感や感情や魂からキャッチしたものを、アタマで解釈して生きている、という感じ。

また、「五感は共有できてそうじゃないか。あなたが見ている【机】と、わたしが見ている【机】は同じものだ」と言える。かなりの確率で言える。でもここら辺から曖昧になってくるので、ここはアタマと分けて考えることにした。
たとえば、この机が果たして、同じ色に見えているだろうか。明るい茶色だとして、明るい茶色というのはどの範囲を指すのか。機械で色をデータ化して共有したとしても、そのデータ化された色を見るのはけっきょく、個々人の目だ。同じ色を見ているかどうかは、目玉と脳みそを入れ替えるしかない。

はい、これ以上言い出したら穴が出てきそうなので、これくらいにしとくw

でね、
「アタマ ⇔ 五感・感情・魂」
って分けかたからも分かるように、アタマの世界の方が圧倒的にせまい(と、私は思っている)。超絶アタマがいい人たちからすると、すべての世界をアタマで把握できることをめざしているのかもしれない。が、いまのところどうやら到底おいついていないようだ。アタマのいい人ですら、そういうレベルだ。普通のアタマの人にとっては、アタマで理解できる世界なんて相当、せまいに違いない。

「みんなと生きている世界」の方は、たくさんのいろんな種類の人が住んでいる。だからある程度、アタマの理解度がどういうレベルの人でも分かるような範囲でつくろうとしている(そうやって頑張ってもなお、法律とかは難しい。スマホの構造も難しいよね)。それゆえ、よけいにまた狭くなる。

で、そういうせまいせまいせまーい世界で人とコミュニケーションを取り合おうとするもんだから、「自分」という存在なんてほんと、ちっぽけなものに見えてくるんだよね。この肉体といういちおう目に見える範囲で、住所があって、電話番号があって、戸籍があって、人に明解に分かるカタガキがあって。それが「自分」だと思う以外ない。それ以外だと思うのは自由だが、世の中に向かって叫ぼうもんなら、コミュ障扱いもしくは、イカレたヤツだと思われて終わりだ。

※ちなみに話ずれるけど、世の中的には「小説家」って無職扱いなんだってね。救急車呼んで職業を伝えたらそう言われた、というのをどこかのツイートで読んだ。あてにならない情報だけどw つまり、「小説家」ってあくまで自称であり、アタマで定義ができないってことなんだろうね。そうなると世の中には案外「無職」ってたくさんいるのかもしんない。脱線話ながら、これってかなり示唆的なんじゃないかと思っている。

つまり、人と理屈で共有できるせまいせまいせまーい世界の中に、私たちは自分を閉じ込めて生きている。
そこで元気がなくなったとき、自己を啓発しようとする。いきなり本の中に「あなたは無限の可能性を持った存在です」と出てくる。信じられる?あんだけ、客観視できないことを脳内から排除されて排除されて排除されて。せまいせまいせまーい世界の中にいて。さあ今日から「あなたは自分の五感を信じ、感情を受け止め、魂の呼び声を聞きましょう」ってなもんだ。できる方がレア存在ってもんだ。

つまり、私たちはほんとうはもっとひろいひろいひろーい世界に住んでいる。人と共有しづらいというだけで、あたかもそれが無いかのように錯覚しているだけだ。
例として、第六感も(あるいは第七感も)、実は誰にでもあるという話がある。私もあると思っている。それは、多少なりとも、人と共有できない感覚は「ある」と思っていて、それを使うように努め、「ある」前提でそれなりの時間を生きてきたからだ。
その感覚が増えてくると、ある程度、他人がどういう人でどういう思考回路を持っているのかが会った瞬間に捉えられたりする。ある程度、組織の行く末がどうなりそうか感じられたりする。理屈で共有できないだけだ。

そうなると、一気に世界は「あると思えばある」みたいな世界になってくる。なんてこった。法律もへったくれもない。悪徳占い師ものうのうと生きられる、自由度の高い世界だ。

だからこそ、他人のコトバじゃなく、「自分の感覚」を使い、磨き、信じるということ。これが「あなたには無限の可能性がある」の正体だと思う。もっともっとあなたは、多くのことを感じ取ることができて、それにより新しいヒラメキも得られて、もっと別の行動だってとれるはずなんだ。
私がこういうコトバを書いて、人に伝えているからといって、私のコトバを信じてはいけない。それを受けて「そういえば…」と自分の中を探ることからしかはじまらない。

自分は他の誰でもなく、この肉体を持って生まれてきている。
だから少なくとも今世は、この肉体でもって感じることを磨く以外にない。他人が聴いた魂の声が私に聞こえるはずもないのだから、私は私の声を聴くしかない。そう腹をくくり、あきらめることで、逆に新たな可能性の扉を開くことができるはずだ(これは前回記事と関係するところだね)。

これが2つめの、 「あなたには無限の可能性がある」 説。

きっと他にも説明のしようがあると、思う。だって目に見えない世界は、無限なのだから。

Photo by Paula May on Unsplash

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