さいきん、人の話を聴いたり自分が体験したことから、思う。
人がツラいのは、
◆自分の話を誰も分かってくれない気がする
という状況だ。「大人な」考え方をすれば、
「そんなもん、みんな忙しいんだから人に構ってる余裕はない」
「自分のことは自分で解決しろ」
「聞いてはあげるけど、それって解決じゃないでしょ」
という反応が返ってくることも想像つく。
大の大人でも、ときにTwitterに没頭してしまったりするのは、そこに「自分がまさに考えていたこと」が書かれているからだ。「…ここに同士がいた…!」と思う。自分の分身がいたように感じて、思わずリツイートする。
それが解決になるのか、と言われればならないのだが。絶望してたココロがつかのま、ホッと溶かされたような気がする。その瞬間、だけは。
そして次の日から、また同じ日の繰り返しだ。
なんとか、ならんのか。
かくいう私も、「同士」的な人を求めてさまよってきた。
昨日まで他人だった人にいきなり心を許して急接近しようとしたり、分かってもらえた!と思っては言い過ぎたり、でもやっぱり分かってもらえてなくて勝手に怒ったり、ということを繰り返してきた。
もちろん、それも解決じゃなかった。
◆自分の話を誰も分かってくれない気がする
もしかすると、そう思ってる人の身近な人は、なんとか分かってあげたくて想像を巡らせたかもしれない。話を必死になって聴いたかもしれない。でも、体験が違う以上、本気で分かることなんぞない。似たような体験をアタマの中でかき集めてきては、「うん、私もそゆこと、あるある。分かる分かる」と言うのが精一杯かもしれない。
悲しいかな、私たちは最終最後、孤独なんだ。
でもそれで終わっちゃー話にならない。
私たちは圧倒的に、味方につけなきゃいけない人が一人、いる。
それが、自分自身だ。親でも子どもでも、親友でも配偶者でも恋人でもない。
自分自身だ。
よく「自分の話をいちばん身近で聴いているのは自分だよ」なんていう癒し系小話があるんだよ(ひょっとしたら私も、言うたことあるかもしれん…)。でもねえ、冷静に振り返ってみよう。本当に聴いているだろうか?本当に??
たしかに、自分の心の声は自分には筒抜けだ。
でも、発した声はすぐにかき消される。誰にか。そう自分にだ。
「ああーーーもうこの彼氏いやんなった別れたい」
と思った瞬間に
「いやでも、2年もひとりぽっちでガマンし続けて、ようやく見つかった彼よ?そうカンタンに手離す気?ちょっとは片目つぶったら?」
とくる。その間、ゼロコンマゼロゼロ2秒だ。もうものすごい瞬間風速で、自分の思ったことを否定しやがる。自分が。そう、他でもない、このオレが。
そのオレはなかなかに常識的で、大人だったりするんだ。まあまあ説得性もある。リアリティ満点な気がする。そらそうだ。アタマの声だからだ。心なんかガン無視だ。
でも、この際だ。そのオレよりももっともっと、冷静になってやろう。ちゃんと言い返してやろう。
「だいたいお前、ぜんっぜん話聞いてねえだろうが…!!!(泣) 頼むから…!聞くだけ聞いてくれや」
って。泣きついていけ。そして、否定しそうになる自分に気づきながら、それでも必死に聴いてあげよう。ただ、「そうなんだ」って思いながら自分のココロとコトバを拾おう。心がヒリヒリするかもしんない。いろんなこと思い出してもんにゃりして、面倒かもしんない。でも、聞くんだ。書いてみてもいい。そこからすべては始まる。
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ここまで書いてきたけど、これって何の茶番だろう。心理的な話をすると、
◆自分自身が自分自身にしてあげれないことは、他人からもしてもらいにくい。
というメカニズムがある。他人が自分を分かってくれる可能性は、低い。自分が自分を分かってあげた分よりも、低い。だからせめて自分が自分の話を聴くくらいのスキルなり余裕は持っておこうや。ということだ。
逆に、自分が分かると、人に工夫して伝えられるようになる。多くの人は、やりたいことややりたくないことややらねばやるかもやるべきやるだろうやりやがれ…などがごっちゃごちゃになったまま人に話をする。そらー分かる人の方が少ないってもんだ。そう言ってはいるが私だってごっちゃだ。だからやっぱり文章を書き続けようと思ったんだ。
書いたから伝わるってわけじゃない。でも書かないよりは少し自分のことが分かる。書かないより少し、人に知ってもらえる。そして少し、伝わる人もいるかもしんない。それくらいから始めるんだ。
誰も分かってくれない。だから、自分から始めよう。おもしろいぞ。思いのほか、自分も分かっちゃいねーぞ。味方どころか敵だぞ。ここまで添い遂げてきたのに!ってびっくりするぞ。
でも、もしコレがきっかけで気づいたなら、今から死ぬまででも遅くはない。今からやってあげたらいいじゃん。