欠けているからこそ、次に繋がるエネルギーが生まれるのだと。

今朝、近所の美味しいパン屋さんの食パンを食べた。
そして、美味しいコーヒー屋さんのコーヒーを飲んだ。
ああ、満たされた。幸せ。と思ってしばし心が完結していた。

心と身体は、今まさに必要なものをドンピシャで与えられると完結するんだな。と思った。そしてそれを人は「幸せ」と呼ぶのかもしれないな、と。それがいかに刹那なものであっても。

ここで思った。今朝、パンを食べずに、何も飲まずにいて。家に一切の食べ物がなかったらどうなっていただろう。
あったりまえだけど、お腹が減ってくるだろう。そうすると、食料を探しにいかなければならない。そのままでは胃の中がからっぽになる。命がかかっているからだ。
財布をにぎりしめて、近所のパン屋に行く。真剣に探す。見つけたパンを買ってかえり、食べて胃を満たす。この一連の動作が完結してはじめて、「幸せ」となる。

これを逆にして考えてみよう。
今日、美味しいパンに出逢えたのは、胃がからっぽになった(か、もしくはなることが分かっていた)からだ。つまり、「欠けている」から、「満たそうとする」動きが働く。そう思うと、「欠けている」ことそのものは別に悪いことじゃない。

よく、「幸せになりたければ、欠けていることにフォーカスするのではなく、満たされていることにフォーカスしよう」という。分かったようで分からない表現だ。だいたい、フォーカスってなんだ。カメラか。
言い尽くされた表現なんで、こういうこと聞いても「あーはいはい、ポジティブ思考ね」みたいに流しがちになっていた。もしくは、本心では「欠けている」と思っているのに、ただそこから目を逸らすことになりがちだ。そして余計に「欠けている」ことが恐くなっていく。

でも、ここに「命が懸かっている」という心理的切迫感を乗せると、これのほんとうの意味が分かってくる。

先ほどのパンの例でいこう。極論なのは例なんで許して。

<バッドエンド>
胃がからっぽになる(欠けている)⇒死ぬ
生きたい(幸せになりたい)⇒胃がからっぽだー(欠けている)ということにフォーカスし続ける⇒死ぬ

<ハッピーエンド>
生きたい(幸せになりたい)⇒あるものにフォーカスする⇒そういや眠ってる口座に2000円入ってたな、と思い出す
生きたい(幸せになりたい)⇒あるものにフォーカスする⇒そういや近所のあいつが食べ物分けてくんないかな
生きたい(幸せになりたい)⇒あるものにフォーカスする⇒冷蔵庫に眠ってた小麦粉と水でパンケーキ作れないかな
生きたい(幸せになりたい)⇒あるものにフォーカスする⇒そういや災害用のカンパン備蓄してたかも…!

つまり、欠けているからこそ、次の展開(とそれに必要なエネルギー)が生まれる。
もしこれで、人間のメカニズムが点滴みたいにいつの間にか栄養補給されるシステムになったらどうだろう。別にパンを探さなくてもいい。ていうかお腹減らないから食べたくても食べれんし。だから永遠に、パンを探す行動には移らない。というか、美味しいものとの出逢いは、今生ではもう、ない。

つまり、欠けているからこそ、より良いものに出逢える。と、考えてみたらどうだろう。

食べ物で考えてみると、ダイレクト命なんで極端だろう!ってなるけれど、同じ食べ物でも、今日明日生き延びるための最低限のパンか、1年後に思い出しても幸せな思い出がよみがえる極上のパンかによって、満たされ度合いは違う。極論、寿命にもかかわるだろうし、生きている時間のクオリティも違う。

食だけじゃない。心だって、長い目で見て欠けている状態が続くと、自らの命を絶つという行為にいたる人がいる。ということは、心を満たすことだって生き延びるために必須だ。欠けているから、命がけで真剣に探す。
じゃあ、欠けている状態をその場しのぎで満たすのか、本当に求めているもので満たそうとするのか。クリスマスだけのとりあえず彼氏を作ろうとするもよし、その後も信頼できる人との付き合いを目指すもよしw じゃあその相手はどこを探せば見つかるか。友達(あるものにフォーカス)の紹介。飲み会(あるものにフォーカス)に参加。今いるコミュニティの人(あるものにフォーカス)を見直す。なんでもいい。いずれにせよその動きは、「なにかが欠けている」と感じるからこそ起こる。家族がいて仲良くて、ネコもいて、人肌みたいなぬくもりがあればそこで完結するから。
アイデアもそれに似ている。アイデアが欠けているところを、出てくるまであれこれ自分の内側を探りながら探す。そこを待てずに、パクリアイデアで埋めると絶対に自分からは出てこないwww

つまり…欠けているということそのものは、不幸でもなんでもない。どんなにリア充に見えてリッチで自由に飛び回っているように見える人も、その原動力は欠けていることから起こっているかもしれない。というか人間は男女に分かれている時点で、どこかしら欠けているものだから。

そこで、これが本題なんだけど、その空洞を手近なもので満たすから、それ以上のものが手に入らなくなる。命のためにはさしあたり、必要なこともあるだろう。でもそればかり続けてはいけない。場合によっては、満たすものを間違えてその空洞をますます大きくしてしまうことにもなりかねない。
そう。悪しきは「欠けていること」そのものじゃない。そこで欲するものがなんなのか、いかに正直に感じ、求められるかどうかにかかっていると思う。

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Photo by Thomas Kelley on Unsplash

とかなんとか言いながら、今日も美味いもんを食す。

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