「一切の心配ごとを忘れて、その対象に没頭没我してられる状態」。
昨年の今頃、これが唯一の、私の望むあり方でした。
***
こんなモノを手に入れたい。
あんなシゴトにつきたい。
こういうヒトと恋愛したい。
あのヒトみたいになりたい。
こんくらいのカネ稼ぎたい。
そういうのをとっぱらって、その奥に望むものを見たとき、ほんとうの自分が望む生き方が、見えてくるような気がします。
上に挙げたような「カタチのあるもの」は、変わるんですわ。しかもしょっちゅう。昨日A君が好きと言ってたかと思いきや、翌日はB君くらいコロコロ変わる。手に入れたと思ったら冷める。でもそこはなぜかC君じゃなく、A君やB君だった。その共通する理由ってのはどこかにあるはずなんです。それが私の望みなんですよね。
その、自分が惹かれる共通項をひとつひとつ掘り下げることを、「自分と向き合う」って、世の中は言うんだと思います。
私も、1年前に願望を聞かれたとき、思いついたことを言ってみたのですが…「地中海で船に乗ってのんびりする」って笑うわw失笑よw 少女の夢のようなそのふんわり、漠然とした感じ。
であと、もうひとつ思い浮かんだことは、大学の図書館みたいなところで山のように本を積み上げて、いっこいっこ読んで世界の謎を紐解いていってるイメージ。これまたw 最近は1冊もなかなか読破できないでいるのにw
でも、これが実際掘り下げてみると、笑えないのですよ。こういう一見くだらないと、自分に言ってしまいそうなこと。ここから見えてきます。これらの共通点をさぐっていくと…。
■それをやっているとき自分はどういう「状態」なのか。
これにたどり着くはずなのです。
そこで私の中から出てきた答えは、「一切の心配ごとを忘れて、その対象に没頭没我してられる状態」。というものでした。【没頭没我】。好きな言葉なんです。人生でもっとも気持ちよかったときを思い出したらたいてい、コレなんですよ。
「状態」を導き出すとなにがいいかって、達成に必要な「条件」からかぎりなく自由でいられる、ということです。
続く。