20代の頃、こういう雑誌を読んでました。
(写真はストリート編集室より)
原宿のストリートファッションを撮影したもの。文字通りほんとのほんとに他人にはマネできない着こなし、唯一無二の個性が光る若者たちがたくさん掲載されていました。「近年、オシャレな子が撮影できなくなった」とかで、昨年で定期刊行は終了してしまったのですが…。
ちなみに今日、1997年の創刊号が復刻発売されるそうです。表紙はこんな感じ。なんせ主張がすごい。
これをリアルタイムで読んでいたときは、私自身、自己表現も死にものぐるいだった気がします。若い時代は多かれ少なかれ、誰でもそうなのかもしれませんが…。
自分を正確に伝える手段をあまり持っておらず、顔も淡泊なおさな顔。必要以上にいい人もしくはおとなしい人と見られて、いいように解釈されてしんどかったんです。だから自己表現の手段をいつもいつも、探していました。
そこから10年、20年…(もうそんなに経つのか…遠い目)。
常に、カラーコーディネートやファッションやデザイン、ブログ発信といった【自己表現】がテーマの活動をしてきた記憶があるのですが。私自身、今がいちばん【自己表現】とやらをしている自覚がありません(笑)。
むしろどんどんと必要がなくなっていく。昨年結婚して、なおさらそうなりました。ちょうど昨日は髪を切りにいったのですが、今回はチカラの抜けた自然体なスタイルにしてみましたしね。でもまあ時々、エッジのきいた髪型にもしたくなりますが。
最初は、必要に駆られて身も焦げそうな想いで【自己表現】をうったえ始めたのに。自分自身の「自己表現欲求」が昇華されていくと、やることがなくなった気すらししました。なにをやっていいか分からず、白紙になってしまった時期さえあるほどです。
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つまりここから言えること。
◆もっとも自己表現できている状態とは、「自己表現している」という自覚すらない状態なんじゃないか。
ということ。
冒頭のようなファッションに共感を覚え、なんとか唯一無二の自分であろうとしたときは、実は重たい武装をしていただけなのだと、今なら分かります。やりたい時期はやったらいいと思いますよ。個性的なファッションは見る人にも面白いですし、私も年を重ねたら逆にやりたいと思うほどですし。
でも、ほんとうに自分を活かすスタイルって、自分にとって見飽きるほど見てきた、「フツーすぎてつまんない」とも思えるファッションだったりするんですよね。
自分にとって、自分らしさとは当たり前だからこそ分からない。
だからこそ、いろんな人に自分を見てもらって発見するのはいい手段じゃないかなと思っています。
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そんなわけで、自分らしさをいかに自然にモノにしていくか、ということをいつものように音声で語ってみました。今回から画像をつくり、冒頭と最後にジングルまでつけて、本格的に番組らしくなったんじゃないかと(笑)。
話は、私のファッションアドバイザー時期のお悩みから始まります。活動後期のことですが…専門家になろうとし過ぎて、自分らしさが損なわれる気がしてしんどい。そういう悩みを抱えていました。
今ならそれにどういう解決を見出すか、という答えが旦那くんの話に出てきますよ。
◆『専門家は“カンペキ”じゃなくっちゃいけないの? 』
・対談相手:心理カウンセラー・キタダハルキ
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