ギョーカイ用語とか、スラングみたいなもの、そもそも仲間うちでしか通じない言葉ってありますよね。
では、職場やサークル、学校など、新たなコミュニティに入ったとき、聞き覚えのない言葉が飛び交っていて、疎外感や不安を味わったことはあるでしょうか。
何を言ってるのか分からない。その言葉の意味を知っていれば、私も仲間に入れるかもしれない。どんな時に使う言葉なんだろう。みんな、何にそんなに盛りあがってんだろう。
そもそも気にならない方とか、聞いてなんとなく分かった感じで充分、と思える方もいるかもしれません。
私は、みんなが共有している言葉の意味を、深く知りたい人でした。だから、どういう意味で言ってるのか、いろんな人に聞いて回ったり、時には学びに行ったり、そのジャンルを研究したりもしてみました。マジメか。
その結果分かったことなんですが…みんな案外、テキトーだってことです(!)。
中には、ツーカーで響き合ってそうな人同士なのに、お互い全然言葉の意味なんて分かってない、って人もいました。雰囲気でなんとなく掴んでいる、とか。フタを開けてみたら、同じ言葉について、もうまーーーったく違った意味で捉えてるとかってことも珍しくはありません。
つまり、どんなに知っても想像を重ねても、言葉を発した人の「本当の意図」なんて分からないということです。両者が、これまでの経験と知識を総動員させたとしても同じく。なぜなら、そこで参照しに行く「知識の図書館」が、人それぞれ違うからです。なんとまあ絶望的な結論なのかしら…。
でも、だからといって人と人とは繋がれない、ってことが言いたいんじゃなく、想像をめぐらすことはできる、と思っています。
・この人は前回会ったときを思い出すと、こんなことを言いたいんじゃないかな。
・私が受け取った感じだと、あの経験をしたときの感じと似ているな。
・今はあまり意味は分からないけど、いつか理解できるかもしれないから、心に留めておこう。
こんな風にいったん受け止めてみた上で、必要なら相手にそれを伝えてみたりする。
つまり、いちばん最初に「正確には分かり得ない」、ってことを認めることが必要。その上で、分からないなりに「歩み寄る」ことならばできると思っています。
このプロセスを重ねることが大事なのであって、言葉の「意味」だけを学んで知ったところで理解はできないなって気がします。シチュエーションも毎度違うし、そこに込められた想いも当然、毎度重さが違う。
そう思うと、職場やサークル、学校など、新たなコミュニティに入ったときの疎外感も、必要ないのかもしれません。彼らは単に、便利だから共通言語を使っているだけであって、通じ合い方は人それぞれなはず。想いまで届いてるかどうかも、外から見たら分かりません。
もちろん、同じ言葉を使うことで、一体感が生まれたり、嬉しさもあるかもしれませんが、常にその中身は磨いていく必要があるんだと思います。
で…ようやく本題なのですが…私自身もブログを書いていく上で、「本当に伝わるんだろうか」「できれば分かってほしいな」という不安は多少なりとも、あります。
でもこれも同じことで、受け取り方は人それぞれ。読んだその時、その瞬間にカキーンと響く人もいれば、想像だにしていなかったところにピンとくる人もいたりして、それは予想がつかない。というか狙い通りじゃない場合の方がほとんどな気がします(笑)。日本中に広まっている流行語を使おうとも、その予想外ってのはぬぐえない。
でもだからこそ、精細に伝わった、手応えを得たときの喜びは大きい。そして伝わらなくとも、新たな見方や考え方に触れるチャンスもあるのかもしれません。