「あなたの”掟”は何ですか?」

前回の投稿から3日間、無事にウォーキングは続いている。今日は朝7時頃歩くことができた。わざわざそのために出掛ける大変さよりも、川を見たり、太陽の光を浴びたり、そういう「気持ちよい」の方がインストールされたようでよかった。

で、以前こちらの記事で書いたゲーム『ヴィーナスアンドブレイブス』の続きだ。こないだのストーリー上で、自分にとってヒントとなる会話があった。

このゲームに出てくる「とある町」は、市長(とその裏の思惑)のせいで、法律でガッチガチに縛られている。どんな会話をするにもすぐ法律を持ち出す。
その街に入ろうとしたら、許可証がないから罰するだとか、今のお前の発言は条例の何条に触れるから犯罪だとか、条例にないことはできませんとか、ものっすごい殺伐としている。
とにかく何をやっても、監視されている感がハンパない。門番ですら、シゴトの契約にないことは一切しないというスタンス。

そこで仕事をするサムライも、その1人だ。契約や法律などなどに縛られて、シゴトだけは遂行するものの、他は見ようともしないでいる。

そのサムライに、女神が聞くシーンがある。
「あなたの”掟”は何ですか?法律などではないはずです」と。

この”掟”というのは、別にゲーム内で使われている特別な用語ではない。
おそらく流れからして、「自分の信念となるもの」だとか、自分を縛るのではなく「律するなにか」だとか、そういう意味合いで言ったのだろう。
サムライはハッとして言葉に詰まる。

ここで、私も自分に問うてみた。
「ここで言う、私の”掟”ってなんだろう」って。

すぐ返ってきた答えは、”美しさ”だった。
すぐ返ってきた割には、公言するのははばかられるなと思った。私の毎日は、意識できる美しさからはほど遠いと思っていたから(ちなみにこのことはブログなどでも何度も書いてきているが、美しさに対するなんともいえない、後ろめたさみたいなものが消えることはない)。

でも、この問いは面白いなと思った。
「 私の”掟”ってなんだろう」

興味ある人は自問自答してみるといいかもしれない。 使命や生きがいや人生のミッションを問うた時とは、違った答えが返ってくるかもしれない。

ここで出てきた答えが、自分の本意には思えなくとも…体現しているとは思えなくとも…おそらく、理想ではあるんだろう。

極端な話だけど、最終最後、人間として生きるのをあきらめたくなったときに支えとなってくれるのは、この問いの答えなんだろう。誰かや景色の美しさかもしれない。自分が人に見出す美しさかもしれない。こんな自分だけど、少しでも美しさに近づけたらいいな、という想いかもしんない。

美しさが答えとして出てくる反面、引っかかってもいる。
人生の中心軸になることって、引っかかりのまるでないことかと思っていた。でも、世の中の「才能ある」と言われる人は口を揃えて言う。才能なんてないから誰よりも努力しまくってきたんだ、って。もしかすると、才能がある分、乗り越えるべき課題も見えるのかもしれない。ひょっとすると、最も苦しみもがくものこそ才能なのかもしれない。

いずれにしろ、”掟”というものは終わりのない希望みたいなもんじゃないかと、思った。到達してしまったら、終わる。その間の冒険で何を感じ取れるかが、大事なんだ。

そのゲームのサムライは、この問いに刺されて以降、まだ出現していないが、おそらく心境は大きく変化していることだろう。
私は、この問いに刺されて何が変化していくのだろうか。

Photo by Andrew Small on Unsplash

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