「シゴト」しかしないのはサボりである?

私的に、これからは「シゴト」というものの概念が大きく変わるんじゃないかと感じていて。と言っても昨日ひらめいたことなんだけども。

ものすごく私的な感覚で言えば、これからの「シゴト」に対する概念は

◆「シゴト」しかしないのはサボりである

もしくは、

◆「シゴト」しかしないのはダサい

という風に変わっていくんじゃないかと。
もちろん、全員が同じ感性ではありえないので、ある一定層だけかもしれない。でもこういう感覚、芽生えつつある人いるんじゃないだろうか。

で、ここで言う「シゴト」の定義とはなにかというと、「お金や利益などの明確なリターンを得るために一定時間を投入する行い」のこと。

つまり、やっただけで何らかの報酬が返ってくる見込みがあるものだけを「シゴト」とみなすとしたら…。それだけやっていても先細るのは確実だということ。

この理由をこれから書いてみる。

私が思うに、「シゴト」が生まれる以前には、水面下にいろいろな営みがある。

1:人が普通に衣食住などの生活をしたり、趣味を楽しんだりする

2:新たに問題や悩みや楽しみ、喜びをみつける

3:それをキッカケに、生活をよりよくするために試行錯誤する

4:その中からいくつかのいいアイデアが生まれる

5:多くの人に広まるように明確なカタチや分かりやすいものに変える

 

ここまで来てはじめて、「後はただひたすら人に提供していけばいい」って段階になる。4や5についても「シゴト」と呼ばれることも多いんだけど、そこに至るまでには、すぐに報酬のない1~3のようなステップがあるわけで…。

つまり、5より後の「それを人に提供する」ということばかりやっていると、提供し尽くした時点でいつかネタも尽きるってこと。でも実際にいちばんやる人口が多いのが、5より後の段階なんじゃないだろうかって思っている。これは、経営者とかフリーランスとか会社員とか、そういう立場はあまり関係ない。

どんな人でも、すでにあるものを人に手渡すことがいちばんすぐに、明快に「シゴト」になるから、それをやる人が多くなるだけの話だ。私も多分に漏れず、5以降ばかりをやってる時期もある人間。こういうブログを再開したのも、1~3をなにかしらカタチにしようとしている意図がある。

 

もちろん、5以降にもアイデアが必要だったり、あたらしいシステムを生み出したり、アイデアが必要なものってたくさんある。でもそれもこれも、そもそも1から始まる資源ありきの話。日々の生活をいかに感じ、丁寧に発見を積み重ねるかによって変わるんじゃないかと。

 

日々の中にこの1~3もしくは1~5のような水面下のステップを埋め込み、しかも楽しんで自然にやっていけている人が、結果として無限に「シゴト」も生み出せているような気がしている。自分の中からリソースが尽きないから。

 

たとえば毎日ゲームをやっていても、「こうやってプレイするともっと面白いんじゃないか」という発見をした人は、それを試行錯誤して実況動画にしたりする。

たとえば毎日家事をやっていても、「こうやって収納すればもっと楽しく美しくなるんじゃないか」という発見ができる人は、試行錯誤して洗練させて、それを人に教えることができる。

 

決して、「すでに誰かに発見されたことを教わって、それを誰かに教える」じゃないところがミソで。それ(横流し)をやってもいいんだけど、生み出す方法を見つけてないと、すぐにネタは尽きるよということ。それが冒頭で言った

◆「シゴト」しかしないのはサボりである

の意味ね。そしてさらに、

◆「シゴト」しかしないのはダサい

というのは、「結果を回収することに必死で、遊ぶ余裕がない」というイメージでとらえていて。

ダサい以前にそれは本人もしんどいと思うのね。少なくとも私はそう。心からその「シゴト」を好きで楽しんでいればいいんだけども。どうしてもそういう回収行動に走りがちになると、機械的な毎日になるし、なにより少ないイスを取り合って競争になる。それが楽しめる人は限られているんじゃないだろうかって思っている。

楽しめている=余裕がある=カッコいい

私のイメージはこんな感じ。
思えば私も、ながらく回収作業にばかり必死になってきて、そもそも毎日を楽しむことを忘れていた。ようやくここ3~5年くらいで子供のような遊び感覚が心に戻ってきて、リターンのないことにも目を輝かせることが少しはできるようになってきている。

ここから今後、なにが生まれてくるのかが楽しみである。

 

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