地味だけどコレも、夢が叶ったと言える。

今日、旦那くんと話をしてて、幼少期からの長らくの夢が叶っていることに改めて気づきました。

とは言っても、そんな壮大な夢ではないんですよね。多分、やりたいと思えば誰しもすぐできるスケールのこと。

たしか高校時代、実家の自分の部屋はごちゃごちゃでした。ごちゃごちゃでしたが、自分なりにはそこは、聖域でした。
学習机は背の高い本棚とセットになっており、年齢に似合わぬ落ち着いたダークブラウンが知的な雰囲気(雰囲気だけ)を醸し出していて、気にいってました。小学生時代のキャラものっぽい学習机を卒業したくて、一緒に家具屋に行って買ってもらったものだと記憶しています。

その机を最も使っていたのは受験期だったので、山ほど進○ゼミの(使ってもない)テキストや参考書やらが並べられていたり、読みたい本が詰まっていました。その冊子類が重すぎて、本棚の背中側のうっすーい板が外れて、撓んでいました。そして机の上には雑然とノートやプリントや文房具が散らばっていました。
お世辞にもキレイとは言い難く、勉強できるスペースも少ないので実に不便。でもしかし、そこは私にとって聖域だったのです。今思えば、なので、だいぶ美化された思い出となっています。あまりにもゴチャゴチャしていたので、整理整頓好きの母親によく怒られてました(苦笑)。

旦那くんと話していて思い出したのは、当時の自分が、その風景の絵を落書きで書いた記憶でした。
雑然とした机と本棚の間に自分が座っている、ほんとうに雑な落書きです。ですが、その絵にはなんか不思議な満足感が宿っており、描いた後満ち足りた気持ちになったからか、覚えています。別に人に見せる価値もないものだと思い、しばらく持っていたものの捨ててしまいました。

そういう思い出を話した後、今の自分のスペースに目をやると、それは当時の自分の聖域とそっくりでした。多少、多少ですが今の方が整理はできているしモノも分別できてるのですが、見た目も似ています。ダークブラウンのシンプルで四角い机と本棚。図書館で借りた本や読みかけの本が立てられており、PCを使うためのミニマルなスペースだけ確保されている。左には、左右ほぼ対象に旦那くんの同じ机が配置されています。
小さなアパートの、色気も素っ気もない空間ですが、この配置になってもう6年近く、飽きることがありません。何かを自問自答したり、小難しく考えるフリをするにはうってつけの、邪魔のない空間。

夢が叶うって、こういうことなんだなと思います。

多くの人に伝わるわけじゃなくても、人に見せれるものじゃないけども、確実に自分の好みの核をとらえたものが手に入っている、ということ。

実際、この空間は小さすぎて、一人の人を呼ぶこともできません。まあ元々、子供の頃から人を家に上げるタイプではありませんでしたが。きっと将来人を呼ぶことがあるとするなら、別宅でしょう。その辺も、自分の好みを実に反映しているなと思います。そして、夢の核を満たせば満たすほど、余計な欲が湧かなくなるのでありました。仙人化しているのかもしれません。

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