いかにハイブランドだって、そういうものだ。

最近、シゴトの関係でハイファッションの販売サイトを見ることが多くなった。
ハイファッションとは、グッチとかクリスチャンディオールとかシャネルとか、そういう誰もが知るやつだ。
表だってファッションの活動をすることは減ったけど、やっぱりサイト見てて、服、好きだなと思う。

そして思った。「やっぱりハイブランドは違うな」、と。
それには2つの意味があるんだわ。

ひとつは、いい意味。手がかかっていて歴史や高い技術のあるブランドの洋服は、細部まで丁寧に仕立てられている。細かいところに複数のステッチが入っていたり、素材が微妙に切替えられていたり、ちいさな刺繍が必ず入っていたり。

ほんとによく見ないと分からないものもあるが、そういう自己満足的なものですら、発見したら小さな感動があって嬉しくなる。自分がそういうモノを持たなくっても、見ているだけで心が満たされてくるものもある。

モデル体型なんかじゃないし、そういうご身分でもないから、大抵のモノは今すぐ着て似合うってことはまずないだろう(トレーニング次第ではありうる気がするけどねw)。
そういう自分でも、もし買えたなら、壁にでも吊るして見て愛でたいなと思うような、感性にマッチしまくった素敵なものってあるよね。ハイファッションのほとんどは私にとって、そういうただ見て愛でる対象。

で、 「やっぱりハイブランドは違うな」 、のもうひとつの意味とは。

ここには言葉が隠れていて、 「やっぱりハイブランド(信奉)は違うな」 ってこと。

販売サイトを見ていると、めちゃくちゃスタイルのいいモデルさんに服を着てもらってる。でもなんだかなぁ、と思うことも多い。

たとえば、モデルさんの姿勢が悪いとか。ヒザが曲がってるように見えたり、背筋が伸びてないように見えたりとなんかもったいない。
たとえば、モデルさんにとても似合ってない。キリッとした美人さんに素朴なほわ~んとした服を着せたり。ほっそいモデルさんにオーバーサイズのざっくりゆるいのを着せて余ってたり(これは昨今のぶかぶか流行りとモデルさんの定義がかけ離れているから、一般向けのファッション雑誌でも多々見るぞ)。
ほかにも、なんでこのブランドのこのコレクションの流れで、こういうデザイン挟むかね?(あまりにもテイスト違くね?)というのもままある。←あまりにも突拍子もないデザイン、とかじゃなく、それなりに服として成立しているヤツの話ですよ、いちおう。
まあそんな感じで、個人的に思った素朴なギモンを数えればキリがない。ただの好みの問題といえばそれまでだ。

そこには、なにかしら、庶民には分からない深い深い狙いがあるのかもしれない。 そのブランドのデザイナーや公式サイトのプロデューサーに聞いたら、出てくるかもしんない。いや、まったくもって無意識なのかもしれない。海外との感覚の違いって面もあるかもしれぬ。

それにしても、世界中の幾多の人の目に触れ、品評され続けてきて、生き残り続けてきたブランドですら、そういうツッコミどころはあるんだわ。最近でも、デザインが人種差別だと指摘されたブランドの例があった。けど、それをつくったブランド側か、指摘した一般層か、どっちの意向がマトモなのかはもはや分からない。

「やっぱりハイブランド(信奉)は違うな」 っていうのは、こういう意味で思った。技術、伝統、ブランドイメージ、膨大な人手とお金、批評とラブ、そういうものを経て磨かれてきたブランドだって無敵ではない。まして私やあなたの感性を永遠に代弁してくれるものでもない。当然っちゃ当然の話。

でも、時折そういうことを忘れて、なにか特定のブランドめいたものに一心不乱になってはないだろうか。そこには一定の信頼はおけても、絶対の安心はない気がするのだ。
「やっぱり○○は素晴らしいな」と、「やっぱり○○といってもその程度だな」という、どちらの目も必要に応じて持てたらいいのだと思う。

そして、そういうものの見方を通じて、自分なりの感性を磨いていったらいい。その感性だけは、生涯通じて、自分で育てていくことができるのだから。

Photo by freestocks.org on Unsplash

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